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IUCの卒業発表会

 みなとみらいパシフィコ内にあるIUC(Inter-University Center for Japanese Language Studies アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター)の卒業発表会があった。6月3日(月曜)から5日(水曜)までの3日間、1名あたり15分の持ち時間(質疑を含む)で、計55名の発表である。

 見覚えのある顔と名前が並ぶ。と言うのも、来日してすぐの今期生を三溪園へ招待(本ブログ2018年10月4日掲載「台風一過のIUC学生来園」)、さらに三溪園訪問の印象記を依頼したところ14名が応じてくれ、それを本ブログ2018年10月22日「IUC学生の三溪園印象記(2018年)」に掲載した。いずれも斬新で素直な印象を見事な日本語で述べている。

 来日から10カ月、750時間に及ぶ日本語特訓の成果を発表する学生にとっては晴れ舞台であり、ブルース・L・バートン所長をはじめとする教員・スタッフの方々にとっては、学生たちの成長を見届ける場である。私も時間の許す限り、ほぼ毎年欠かさず出席してきた。

 配布されたプログラム(すべて日本語)にあるバートン所長「ご挨拶に代えて」は言う。「…どの発表をお聞きいただいても、その独創性や専門性の高さをお分かりいただけるのではないかと思います。…主に大学院生を対象に、40週間で、読む、聞く、話す、書くの4技能すべてにわたって上級レベルの技術を身につけさせ、専門分野の研究や業務が十分に行えるよう訓練しています。…国際理解の重要性が益々高まる中、日本語教育を通じ、世界における日本理解を深めることで世界に貢献できるよう、よりいっそう努力してまいります。…」

 私にはIUCが東京から横浜へ移転した1987年からの付き合いである。それは上掲の「…国際理解の重要性が益々高まる中、日本語教育を通じ、世界における日本理解を深めることで世界に貢献…」するIUCの精神に感銘を受けるからである。日本人や日本の団体が継続的になしえなかった「世界における日本理解を深めることで世界に貢献…」を55年にもわたり進めてきたIUCに心から感謝する。

 今回の発表会で私が聴いたのは、最終日の午後の5名だけであった。どの学生も高度な専門性(内容)と日本語の駆使能力(形式)を合わせもっている。配布されたプログラムに55名分の発表題名と約250字の概要が記されている。うち私が聞いた5名分を転載し、IUCの活動と学生たちの関心・能力の一端をお知らせしたい。

(1) 助動詞ケリの意味論的不完全指定  ジョン・バンチュー(Ohio State
University)
 古文の助動詞「けり」の定義は現在も定まっておらず、多くの研究者は「けり」の意味を探る際、一つの定義に集約させようとする傾向がある。しかし、一つの形態素は通時的に意味が変化するだけでなく、共時的にも文脈に応じて意味が加えられ、彩られる。「けり」も文脈により、回想と結果相が含まれるパーフェクト、伝聞と論理的結果が含まれる間接的証拠性、または詠嘆と気づきが含まれる意外性を示すように使用されてきた。従って、一つの定義に絞るより、「けり」の意味論的不完全指定を理解し、上述の幾つかの定義の共通点を把握する必要がある。その共通点は時間的あるいは認識的に離れた既定事実が文法的に示されていることである。

(2)「若者言葉」はどのように見られているか  ウネー・ソー(Stanford University)
 本発表では人々の若者言葉に対する見方に注目する。若者言葉は若者コミュニティを維持する手段の一つであり、インターネットの発展に伴い若者言葉という概念が世間一般に広がっている。若者言葉自体は研究されてきたが、聞き手側がどのように捉えているかに関する研究は少ない。本発表では、若者言葉を使う話し手がどのように評価されているかについてのアンケート調査の結果をデータ化し、若者言葉が映すペルソナを聞き手側の見方から探る。更に言葉の選択によって無意識に他人に与える含意を探求し、日本語の若者言葉の指標性を論じる。

(3)「レンタル」によって「ニュースタート」へ -ひきこもり部屋からの脱出-  ラムジー・イズマイル(University of California, San Diego)
 「社会的ひきこもり」とは、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、他の精神障害がその第一の原因とは考えにくいものとして定義され、様々な学者によって研究されてきた。しかし、「ひきこもり」という人たちが、どのような方法を通じて部屋から抜け出すかは、まだ十分明らかにされていない。本発表では、ひきこもりの回復を支援する「ニュースタート」というNPOでの参与観察に基づき、ひきこもりが「ニュースタート」に来るきっかけや、「レンタル」という一つの脱ひきこもり支援の過程に着目する。

(4)伝説の島から現実の州へ -日本の古地図におけるカリフォルニア-  タミ・ヒオキ(Stanford University)
 19世紀、日本では大きな変化が起きた。江戸時代には海外からの情報が限られていたが、19世紀に入って世界に関する情報が増えたのである。世界地図は、その重要な資料の一つであった。外国からの情報の制限のため、初期の日本の世界地図は不正確な部分がいくつもあった。しかし、19世紀には、世界地理の情報が蓄積され、以降の世界地図は次第に正確になり始めた。本発表では、18世紀末および19世紀に作られた世界地図におけるカリフォルニアの描写を通して、日本の古い世界地図の変化を検討する。カリフォルニアは日本の古地図でどのように描かれたのか、そして、当時の日本とカリフォルニアの関係はこの地図からどのように解釈できるかについて分析する。

(5)米国訴訟における「ディスカバリー」とそのリスク  エバン・ターキントン (米国弁護士)
 日本企業がアメリカで訴訟に直面した場合、潜在するリスクが多々ある。日本と異なるアメリカの情報開示手続(「ディスカバリー」)に伴うリスクがその一つである。訴訟に関連しうる様々な情報や文書の開示が連邦民事訴訟規則により義務付けられ、裁判所がこれを厳しく取り締まる。一方、日本の民事訴訟法も文書提出義務を規定するも、例外を規定する条文や義務を否認する判例により、提出義務がかなり制限される。本発表では、両国の民事訴訟制度における証拠収集に対する基本的な考え方を紹介し、日本企業などの当事者がアメリカでのディスカバリー義務を軽視した場合のリスクを説明する。

 55名全体の発表傾向を示すために、昨年秋に三溪園訪問印象記を寄せてくれた14名(本ブログ2018年10月22日掲載「IUC学生の三溪園印象記(2018年の発表)」のうち、上掲のウネー・ソーとエバン・ターキントンを除き、了承を得た10名の発表題名と所属大学名を掲げておきたい。三溪園印象記と今回の卒業発表とは明示的な因果関係はないものの、なんらかの関係を示唆しているように思う。関心のある方は読み比べていただきたい。

★レーセン ハナ(Princeton University) 能の般若における人間と鬼の境界性
★アーロン スティール(University of Washington) 「日本を学ぶ」から「日本で学ぶ」へ
★サンピアス ウェスリー(University of Illinois Urbana Champaign) 明治初期の衛生観念普及事情
★マット ミックレラン(University of Victoria) 文字表記と音声表記 -日本アニメ翻訳に関する一考察-
★イアン ハッチクロフト(Occidental College) 持続可能な開発目標(SDGs)に対する日本の取り組み
★チョウ モウシ(Heidelberg University) 江戸時代の禁書政策 -『帝京景物略』を中心として-
★ファトゥマ ムハメッド(University of Washington) ライトノベルにおける「異世界」の台頭とその意義
★メーガン マッカーシー(University of San Francisco) 「武は愛なり」世界に広まった合気道
★リリアン ハート(DePaul University) 日米国際交流における官民パートナーシップの意義
★カサリン ジョプリン(Stanford University) 性別二元性への挑戦 -日本と西洋のドラァグシーンの比較-

 3日間にわたる卒業発表の終わりに、青木惣一副所長が挨拶に立ち次のような趣旨のことを述べた。「卒業発表を聞くとき、毎年のことだが、その発表内容と日本語表現(言語形式)の両面に関心が向く。日本語教師としては本来、日本語表現(言語形式)がどこまで進歩したかに集中して聞くべきだと思うが、その上達ぶりに押され、みなさんの発表内容についつい引き込まれました。本日で40週にわたる集中特訓を終えて、読む、聞く、話す、書くの4技能すべてにわたって上級レベルの技術を身につけたことを証明しました。明後日の卒業式を以てすべて終わりです。これを新たな第一歩として、さらに精進してください。」

 学生たちは、今日の達成感から次の一歩へ、それぞれに次の目標を心に刻んだに違いない。母国で、あるいは他の移動先で、さらに専門性を高め、未来に羽ばたいてほしい。
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横浜市立大学の入学式

 横浜市立大学(以下、市大)入学式は従来通り4月5日、ソメイヨシノが満開を誇るなかで行われた。ちょうど4年に1度の市議会議員の選挙運動中(投票日は7日の日曜)であった。

 今年の入学式は格別の意味を持っている。昨年11月3日(文化の日)、横浜市立大学創立90周年記念式典が挙行され(本ブログ2018年11月7日掲載の「横浜市立大学 創立90周年記念式典」を参照)、そこで昨年度に発足したデータサイエンス学部、今年度から再編発足する国際教養学部、国際商学部、理学部の3学部、それに従来の医学部を合わせた、5学部体制が明らかにされた。

 私が学長を務めたのは1998年5月1日から2002年4月30日までの4年間であり、退任してから17年が経つ。私の退任後に公立大学は設置者(自治体)の<直営>から独立性を持つ公立大学法人へ移行できる制度変更がなされ、その制度設計に公立大学協会(全公立大学長が加盟)の相談役として私も参画した(『公立大学協会60年史』2010年)。

 公立大学法人への移行は、国立大学法人への移行が全大学一斉に行われたのとは異なり、各自治体とその公立大学が独自に決定し、また理事長と学長の<一体型>か<分離型>かをも選択できる制度設計であった。

 公立大学法人化は<法人化>、あるいは<独立行政法人化>を短縮して<独法化>とも呼ばれた。市大の法人化は2005年。理事長と学長の<分離型>を採用、学部編成も大きく変更して国際文化学部・理学部・商学部の3学部を1つの国際総合科学部に括り、医学部との2学部体制とした。

 国際総合科学部という学部名は、受験生・在校生にとって学ぶ対象が分かりにくい上に、教職員にとっても説明するのが難しい。この<合理化>による2学部体制を見直そうと、3年余の努力が重ねられ、紆余曲折の末、昨年秋、上掲「創立90周年記念式典」において新たに5学部体制を宣言した。

 この5学部体制の発足が今年の入学式である。新体制までの苦闘の軌跡を知る者にとっては大きな喜びである。先頭に立たれた二見良之理事長と窪田吉信学長の奮闘には敬服の念を禁じ得ない。

 式典は、森林太郎(森鴎外)作詞・南能衛作曲の横浜市歌の斉唱に始まる。「わが日の本は島国よ/朝日かがよう海に/連りそばだつ島々なれば/あらゆる国より舟こそ通(かよ)え」(一番)。私も思いを込めて歌う。市歌は横浜開港50周年を祝う1909年に作られた(本ブログ2016年6月9日掲載「開港記念日と横浜市歌」を参照)。今年は開港160年である。

 ついで窪田学長の式辞。自分の頭で考え、課題を発見して解決することが重要であり、多くの分野を持つ総合大学の利点を生かすも殺すも「みなさんの姿勢にかかっている」と語り、専門外の科目に学んだ自身の経験を披露した。

 林文子市長は、市大が横浜市とともに歩んできた長い歴史を持つことを強調したうえで、みなさんは我々の「夢と希望」と呼びかける。自分は母子家庭だったため大学進学を諦めて社会へ出たが、そこで男女の地位の格差に愕然とするも、目標に向かって邁進してきた。
 大学へ進むことができたら、もう少し理論的に考えることができたかもしれない。それがないだけに、人との意思疎通に心を砕いた。「…みなさんも相手の立場に立って思いを伝えるように努力して欲しい、私は大学が大好き」と熱く語る。

 新入生(学部990名と大学院修士・博士課程261名)を代表してデータサイエンス学部の渡辺武尊君が宣誓、混声合唱団(中村響指揮)が歓迎の歌を披露、ついで応援団(大薗拓未団長)とチアダンスがリードしての校歌斉唱へと進む。

 西条八十作詞・古関裕而作曲の校歌は3番まであり、「…世界の海港(みなと)に意気も高らか…」、「若き日みじかし真理は遥(はる)けし 究る情熱 鉄火もつらぬく」、「…民主と自由の紅さす曙 みどり明けゆく歴史の半島…」と謳い、それぞれの最後を同じ「ああ 浜大の俊英 われら」で結ぶ。

 私はじっと聴き入る新入生たちを見つめ、これからの学生生活が健やかで有意義であるよう心から願い、密かにエールを送った。

 顧みて、本ブログ「大学教員の仕事」(2019年3月5日号)で述べたように、教職員が分野を超えて、自由闊達に話し合う場を工夫できないものか。たとえば将来計画委員会やその全学組織である将来構想委員会といった、過去に一定の役割を果たした組織がある。創立100周年にむけて踏み出したのを機に、現状に甘んじることなく、将来構想会議のような組織を立ち上げられないか。これまで歩みを共にしてきた卒業生や元教職員の経験と知恵を結集する必要も出て来るように思う。そのきっかけを作るのは、執行部であろう。

 折しも小惑星りゅうぐうに向けた「はやぶさ2」のインパクタ発射が成功した。プロジェクトチームを束ねるJAXA(宇宙航空研究開発機構)の津田雄一プロジェクトマネージャは43歳。機体の設計に関わり、その知識をかわれて若くして先輩研究者からプロジェクトマネージャを引き継いだ。率いるのはJAXAのスタッフだけでなく、協力するメーカーや大学、海外の研究者など総勢600人を超えるチームだと言う(NHK NEWS WEB)。

 津田さんはメンバーの意見を聞きながらミッションを進めることを大事にし、「みんなそれぞれ役割があって、その役割を全員が、力いっぱい発揮できるようなチームにしようと心がけてやっています。必ずしも私の言う事を聞いてくれる訳ではなく、意見がたくさん出ます。その中でいい道をみんなで決めていくことができるのが今のチームです」と語る。

 市大にも、津田さんのような人材がいるに違いない。大学である以上、目的は多様であり、一つに絞ることはできないが、universe(存在するすべてのものとしての宇宙、森羅万象、学問の全領域…)から派生したuniversity(一つにまとまった集団、大学)こそ、大学の本来の使命である。

 人文・社会・自然等の諸科学を包括する市大の将来を自由闊達・縦横に議論する仕組みが欲しい。これこそ創立100周年を実質的に深める第一歩ではないか。

大学教員の仕事

 長く大学勤めをしてきた。1966年に東京大学東洋文化研究所の助手になり、横浜市立大学を定年退職する2002年までが36年、それに都留文科大学学長の4年間(2011~2015年)を加えると、大学勤務は40年になる。

 75歳になったとき、大学教員の仕事を一般化して整理したことがある。本ブログ右欄のリンクにある「(都留文科大学)学長ブログ 2011~2015」の18「大学教員の4つの仕事」(2011年8月18日)で、大学教員の仕事は大別すると、<教育>、<研究>、<社会貢献>、<学務>の4つであると述べた。

 それから7年、大学の行く末を想いつつ、改めて整理しておきたい。大学関係者以外の方に大学教員の仕事を知っていただきたいという思いがあると同時に、大学は教員・職員・学生の3者で構成される組織であるため、職員や学生にも知って欲しい。そして何よりも全国18万人の大学専任教員の、さらなる深化の一助になればと願っている。

 大学教員の4つの仕事とは、<教育>が知(知識+知恵)の<継承>にあたり、<研究>が知の<創造>、<社会貢献>が知の<普及>である。これら3つの仕事を遂行する役割が<学務>にほかならない。具体的には、それぞれに5項目、合計して20項目になる。

 第一の<教育>には、①入試(出題・採点等)、②授業(講義)、③少人数のゼミ、④4年生向けの卒業論文指導、そして⑤大学院生に対する修士論文と博士論文の指導があり、通常はゼミ形式を採ることが多いが、個別指導が別途必要になることもある。例えば「○年日記」のような形式を使うと、年ごとの更新過程を明らかにでき、改善に資するであろう。

 第二の<研究>は、自分の専門領域の課題を煮つめる作業である。私の専門の歴史学の場合は、①過去の研究の精査、②自分の課題の設定、それに伴う③史料収集、これらに圧倒的な時間をかける。ついで④論考執筆に入り、⑤推敲を重ねて発表にいたる。論文は400字×40枚~60枚=16,000字~24,000字(日本語)程度のものが多いが、著書の場合は400字×200枚=8万字(新書クラスの平均)から400字×700枚=28万字程度までが一般的であろう。

 ちなみに実験を必須とする分野では、グループで長時間の実験・観察を行う。それ自体が教員の<研究>であると同時に、分担を決めて実験を進めることが学生にたいする<教育>でもある。

 初等・中等教育とは異なり、大学の<教育>は<研究>(先行研究)を踏まえつつ、あくまでも自己の<研究>に基き、その責任において実施される。この自覚は不可欠である。

 <社会貢献>とは、ここでは<地域貢献>や附属病院の医療行為を含む、自己の<研究>成果を広く学外へ伝える行為である。①各種の講演、②研究成果の公刊や新聞・雑誌への執筆、③テレビ・ラジオの出演、④学会の委員や政府・自治体等の審議会委員、⑤医師・看護師・薬剤師等による医療行為。

 そして<学務>とは、大学内にある①各種委員会(入試・教務・学生・人権・紀要・将来構想・計画等の各委員会)、②学科会議、③学部の教授会、④大学院の研究科委員会、⑤全学の委員会や学生の部活の部長・顧問等の活動である。大学が自治組織である以上、それを構成する各単位は運営のために将来構想・計画・点検を含め、自ら絶えず点検練磨しなければならない。

 多くの委員会はルーティンをこなすものであるが、そのルーティンは時代の要請に応えて絶えず見直す必要がある。そのための委員会が学部ごとの将来計画委員会であり、全学の将来構想委員会である(名称は各大学で異なる)。組織の将来像を描くのは難しいとはいえ、これなくして前進はない。大学改革の大きな波は、これまで十年ないし数十年の単位で押し寄せ、その度に、これらの委員会が大きな役割を担った。

 今後も大波はやってくる。現在、760余の日本の大学の多くが、さまざまな面で危機状態にあると言わざるを得ない。<教育>、<研究>、<社会貢献>が十分に機能するには、新たな大学改革が必要であり、そのとき<学務>に大きな役割が求められる。

 これら大学教員の4つの仕事は、必ずしも勤務時間や大学という場所に制約されないものも含む。資料を求めて学外の図書館・文書館へ通い、フィールドワークに出かけ、講演に赴き、あるいは在宅勤務(自宅研修)に勤しむ。外からはかなり暇な職業と思われることもある。最近になって「裁量労働制」という勤務形態が知られるようになり、世間の理解は進んでいるようだが、なお多くの課題が山積している。

 私自身の経験では、学部教授会や将来構想委員会等を通じて、多くの優れた教員と知り合う機会に恵まれた。東洋近代史の私が日本史・西洋史・国際関係史の教員から多くを学び、それは文学・哲学・法学・経済学等の教員、さらに理系の物理・化学・生物や医学系の臨床・基礎の教員へと拡がり、望外の学問的刺激を受けた。これは大学教員の特権である。大学だからこそ多分野の発想に出会えた。今につづく深い人間関係もあり、感謝は尽きない。

 その一方で、上掲の総計20項目にわたる仕事は、相当の重労働であり、すべてを同時平行で行うことはほとんど不可能である。個々の教員で事情は異なるが、組織(学部・学科等)の一員として役割分担や協調も必要となる。前掲「大学教員の4つの仕事」のなかで、次の提案をした。

 …外国研究には外国訪問が不可欠となる。…研究の着想は必ずしも机上では生まれない。電車や風呂のなかでひらめくこともあり、対話や散歩の過程で解き明かすこともある。ひとたび研究活動に入れば徹夜に及ぶこともしばしばで、この点では不定期の24時間勤務であり、季節変動も無視できない。
 多忙な日々に追われ、教員たちが自身の将来計画を見失っては大変である。現在もさまざまな工夫がこらされているが、これを一歩すすめて、各教員が2 年単位で6~7年先まで(研究専念期間をふくむ)を見越した4つの仕事の配分計画を作り、平均すると4 分の1 ずつの比重を時には変更し、例えば教育の比重を高める傾斜配分案(7:1:1:1)や学務に重点を置く配分案(1:1:1:7)等を作った上で、同僚たちと調整するのも一案であろう。メリハリがつくように思う。

 学科長、学部長、研究科長等に就くと、<学務>の比率が一挙に拡大する。学科間の調整や各種委員会との調整が不可避で、多分野の教員や、大学の仕組み、運営の妙を知る好機となるものの、そのために長い時間と労力を要する。

 さらに学長・副学長であれば、全学の実態を把握し、大学の進むべき方向に指導力を発揮する必要がある。それにとどまらず、学外との折衝(議会や役所の関係部局等)や、学外への独自性のアピールも必要となる。たとえば公立大学協会(公立大学長で構成する団体)における役割や国公私立大学共通の審査委員会委員、大学間交流協定(海外を含む)の代表等である。そこで生じる疲労や苛立ちに挫けてはならない。自己管理が勝敗を分ける。

 こうした任務の遂行には大切な舞台裏があり、表舞台の活動は舞台裏いかんで決まるとも言える。家族等の強い支え、堅固なロジスティックスなくして責務は完遂できない。個々の教員により多様で一般化はできないが、多くの助力を得てという点では、誰にも共通するのではないか。

 限られた経験に基づいて大学教員の4つの仕事について述べてきたが、もとよりこれは一つの事例にすぎない。大学と日本の将来に希望を託し、現在の大学が抱える問題点とその是正の必要性を3点に限り挙げておきたい。
(1) 若手教員任期制を廃止し、彼らの中長期にわたる研究計画の評価制度を確立すること。
(2) 批判を回避するため小さくまとめようとする論文作成の傾向を改め、中長期の展望に立つ思考の重要性を示すこと。
(3) 教員個々人の領域に引きこもらず、分野・職種・年齢等の異なる大学構成員(教員・職員・学生)との自由闊達な意見交換により、大学本来の役割である知(知識+知恵)の創造・継承・普及に寄与すること。

横浜市立大学 創立90周年記念式典

 秋晴れの11月3日(文化の日)、横浜市立大学創立90周年記念式典が体育館で挙行された。90年前の1928(昭和3)年に創立した横浜市立横浜商業専門学校(Y専)を横浜市立大学(以下、市大とする)の創立記念日としている。

 ちょうど大学祭(浜大祭)の最中で、構内は歩けないほどの人で埋め尽くされていた。正門を入ると右手に<いちょうの館>が見える。これは15年前の創立75周年記念事業として、私の学長在任時代(1998~2002年)に提案され、市大同窓会(馬場彰会長)が先導して募金に奔走し、2004年に竣工したものである。馬場さんの元気なお姿を控室で見つけ、しばし歓談することができた。

 10時、<横浜市歌>の斉唱から記念式典が始まる。入学式・卒業式等で必ず歌われる<横浜市歌>は、1909(明治42)年、横浜開港50周年・市政公布20周年の記念として制作された日本最初の市歌である。作詞は森林太郎(鴎外)、作曲は南能衛(よしえ)。開港に始まる若い都市横浜を描き、先人の苦労に想いを馳せる(本ブログ2016年6月9日掲載「開港記念日と横浜市歌」を参照)。

 最初に二見良之理事長が主催者挨拶に立つ。本日の創立90周年記念式典は、来たる創立100周年に向けた第一歩であり、同時に本年度発足したデータサイエンス学部、来年度から発足する国際教養学部、国際商学部、理学部の3学部、並びに医学部を合わせた、5学部体制となる画期である、と述べた。

 この5学部(+大学院)体制は、学生・受験生にとって専門性の所在、学びの内容が分かりやすい。国際教養学部、国際商学部、理学部は、2005年の法人化に伴い国際総合科学部に統合された学部の再編である。1995年の文理学部改組で生まれた国際文化学部・理学部へと復帰しつつ、国際社会を生きる人材育成に向け、さらなる進化をとげるべく再生した。大学の礎石である新しい5学部・大学院体制という箱を先行して作り上げたことを、心から祝福したい。

 2つの附属病院(福浦と浦舟)、木原生物学研究所(舞岡)、先端医科学研究センター(福浦)、理化学研究所横浜と生命科学系の連携大学院を組む鶴見キャンパスとともに、新たな総合力を発揮してほしい。

 ついで来賓の挨拶。林文子横浜市長は、1928年から90年を迎えた市大の、さらに前史・沿革から語る。実に148年前の1873(明治4)年、早矢仕有的(はやし ゆうてき、1837~1901年)が開設した<仮病院>と<十全病院>、また136年前の1882(明治15)年設立の横浜商法学校(Y校)に言及し、1859年の開港に始まる都市横浜とともに歩んできた市大の前身を忘れないとした。さらにiPS細胞により肝臓を再生させた市大の若き教授の功績や、初めて横浜市が人口減の局面に入った社会変化等を挙げ、大学は10年先を見据えてしっかり対応してほしい、と結ぶ。

 つづく松本研市会議長、古屋文雄進交会理事長、遠山慎一俱進会会長の来賓挨拶は、いずれも励ましの言葉に溢れる内容であった。

 次が重田諭吉副学長による「90年の歩み」。小冊子「伝統と革新の、その先へ 1928-2028」(YCU100 Concept Book 2018)にある「ヨコハマとともに歩むー受け継がれる伝統 国際性・進取性に富む学風」を参照しつつ説明。その年表の起点を1859年横浜開港とし、これに「1853年 ペリー来航」と記し、ペリー提督及び黒船の絵を添えて、世界史のなかに横浜の歴史160年と市大の歩み90年を位置づけようとしている。

 補足すれば、以下の二点を背景として持っておきたい。第一が都市横浜の起源である。幕府全権の林大学頭とアメリカ全権ペリーとの交渉が対等な日米和親条約(1854年、横浜村にて調印)を生み出し、それに基づいて来日したハリス総領事と日米修好通商条約(1858年)を結び、「神奈川開港」を決める。ハリスは神奈川宿を主張するが、台地に伸びる街道沿いに空地はほとんどない。幕府は、神奈川宿から直線で約4キロ離れた横浜村(現在の大桟橋の付け根から神奈川県庁の一帯)を主張して実行に移す。広い後背地を有し海に開かれた関内地区は、都市横浜の飛躍的成長を支える中核となった。拙著『幕末外交と開国』(講談社学術文庫、2012年)や本ブログのリンクにある拙稿「横浜の夜明け」(『横濱』誌連載)等を参照されたい。

 第二は、1928年のY専創立に始まる市大90年の直接的な起源についてである。現在につながる国立・公立・私立という3つの設置形態の大学制度、その大きな流れのなかで公立大学たる市大が発足した。横浜にとどまらず、日本の高等教育制度の発展と世界の動向との関連を視野に入れることが、今後を展望するうえで大切であろう。

 ついで窪田吉信学長が4つの重点事業「100周年に向けて」を小冊子「YCU Vision 100」の「90周年から100周年までのロードマップ」に基づき語る。すなわち(1)教育=ヨコハマから世界へ羽ばたくグローバル人材の育成、(2)研究=世界をリードする研究成果の創出と市民への還元、(3)医療=医療の知の創生・発信、附属病院の機能強化・再整備、(4)拠点=国際交流と知的資源を還元する拠点形成である。(1)~(4)にそれぞれ2億円以上の募金を呼びかける。

 この工程表のなかで気になったのは、5年後(2023年)に市大『100年史』編纂に着手とある点である。歴史学者の老婆心から言えば、編纂事業は史料収集(文書、聞書き、映像、デジタルデータ等を含む)に始まる。本年度中に編纂委員会を置き、編集方針を立てることが望まれる。

 ついで新しい5学部代表によるパネルディスカッションに入る。司会は重田副学長で、石川義弘医学部長、叶谷由佳看護学科長、岩崎学データサイエンス学部長、佐藤響子国際教養学部長(予定者)、大澤正俊国際商学部長(予定者)、篠崎一英理学部長(予定者)が壇上に並び、それぞれの学部の内容と目標を語った。なかでも新しく発足したデータサイエンス学部の入試状況(昨年度と進行形の今年度)と学生の動向に関する報告が注目を引いた。

 こうして2時間にわたる挨拶、説明、意見交換が終わった。休憩後、チアダンスと応援団(OBもはっぴ姿で参加)の演舞があり、最後は全員起立、学生合唱団のリードと管弦楽団の伴奏に力をもらい、大音量の校歌斉唱となった。私も負けずに声を張る。「…ああ 浜大の俊英 われら…」。

 本日を起点に5学部体制という5つの箱が礎石となって動き出す。それぞれの箱にどのような魂を入れるか、これこそ10年後に向けた最大の課題であろう。

 大学とは教員・職員・学生の三者からなる稀有の組織であり、構成員の年齢差・役割差等を越えて、知(知識+知恵)の発展を担う唯一の組織である。教育・研究・社会貢献の現場を担う三者の自由闊達な意見交換を通じて、しなやかで強い真のアカデミアを目ざしてほしい。市大着任の1973(昭和48)年から45年、「消え行く老兵」の一人として、遠くから願うばかりである。

人文知による情報と知の体系化

 人間文化研究機構と情報・システム研究機構の合同シンポジウム「人文知による情報と知の体系化-異分野融合で何をつくるか」が2008年2月26日(月曜)午後1時半から、一橋大学一橋講堂(学術総合センター内)で開かれた。難しそうなテーマだが、前々からきわめて重要なテーマだと思っていた。

 主催団体の人間文化研究機構(6つの研究所・博物館等を持つ)と情報・システム研究機構(4つの研究所と1つの基盤施設を持つ)とは、国立大学法人法の設置する大学共同利用機関法人に属し、国公私立の大学が利用できる。全部で4つの機構から成り、上掲の2つに加え、自然科学研究機構(国立天文台と4つの研究所)、高エネルギー加速器研究機構(2つの研究所)がある。

 大学は教育・研究・社会貢献の3つの役割を持つ(本ブログのリンク「都留文科大学学長ブログ」の009「大学の役割」2011年5月9日を参照、以下の引用では「学長ブログ」と略称)。これに対して、これら4つの機構は、名前が示すように研究を本務とし、データベース等を作成して公開する社会貢献を行うと定義して良かろう。教育は総合研究大学院大学(博士課程のみ)であり、若い学部生と日常的に接する機会は少なく、ゼミ学生もいない。

 今回の案内には、「二つの機構による共同研究に基づき、本年度は連携・協力推進にかんする協定を締結、さらに新たな知の創造、異分野融合の促進、新領域の創出を推進していく」とあり、このシンポジウムの開催趣旨を「…文と理にまたがる多様な分野で、興味深い、先進的な研究に取り組んでいることを実感していただきたい」と述べる。

 最初が立本成文(人間文化研究機構機構長)の基調講演「人文知から見た文理融合」である。この3月に退任される立本さん(1940年~)の「最終講義」とも言える。わずか40分間のなかにエッセンスを込め、聴き手に分かるよう、最初に「三大話」と言いつつ、3章9節の目次をスクリーンに映し出して話を進めた。私のメモに基づき一覧したのが下記、ここに主張の強調点が見られる。

 1章「文と理」は、(1)「文理とサイエンス」、(2)「文理は分離できない、百学連環」、(3)「二つの文化論と二元論的発想」

 2章「人文知-二項対立から融合へ」は、(1)「客観的知識と主観的知識」、(2)「科学革命(19世紀後半)で失われたもの、いのち(からだ・こころ・ことばのはたらき)、(3)「総合性の復権」。

 3章「文理融合の方法」は、(1)「総合的に捉まえる最近の考え方(ITによるビッグデータの統合等)」、(2)人間文化研究機構のビジョン、(3)「実事求是(事実判断と価値判断)と科学者の道義的責任、人間らしさの復権」。

 いくつも共感できる点があるが、なかでも1章(2)の西周の「百学連環」と2章(2)の「科学革命で失われた、いのち(からだ・こころ・ことばのはたらき)」が心に残る。まとめの段階で、ゲージ理論の草分け、数学・物理・哲学等に通暁、深い思索を展開したH・ワイル(1885~1955年)「プリンストン大学創立200周年記念講演(1946年)」(岡村浩訳『精神と自然』(1946年、ちくま学芸文庫、2014年所収)を引き、科学における人間らしさの復権を結びとした。

 立本さんとは、6年前に山梨県富士吉田市で開かれたセミナー「第2 回の地球研地域連携セミナー「分かち合う豊かさ 地域のなかのコモンズ」で初めてお会いした(「学長ブログ」067「2つの研究セミナー」2012年10月19日号)。当時、立本さんは総合地球環境学研究所(略称が地球研)所長であり、私は都留文科大学長として地域の縁から出席、その後もお会いする機会を得た。

 立本さんは京都大学文学部哲学科を卒業、大学院で社会学を専攻、京都大学東南アジア研究センターで長らく研究に携わった。『東南アジアの組織原理』(勁草書房、1989年、旧姓の前田成文)、『共生のシステムを求めて』(弘文堂、2001年)等の名著で知られる。
 研究者にとどまらず、1998~2002年、京都大学東南アジア研究センター所長、2007年より総合地球環境学研究所所長、2014年から人間文化研究機構長として、人文知の推進・発展のための組織的牽引役を果たした。その一つが3章(2)、組織の将来ビジョンを描いたものである。

 つづいて3つの事例紹介があった。
 事例紹介1 斎藤成也(国立遺伝学研究所教授)「ヒトゲノム情報の革命がもたらした日本列島人史研究の新展開」。『ゲノム進化学入門』(共立出版 2007年)等のほか、一般書・啓蒙書も多い。『DNAから見た日本人』(ちくま新書 2005年)、『日本列島人の歴史』(岩波ジュニア新書〈知の航海〉シリーズ) 2015年)等に見られるように、ゲノム分析と日本列島人の歴史を結合し、新しい世界を切り開く。

 事例紹介2 木部暢子(国立国語学研究所教授)「言語調査における連携・協力~八丈島・岡崎市・鶴岡市などの調査から~」。『そうだったんだ日本語 じゃっで方言なおもしとか』(岩波書店 2013年)、『方言学入門』(共著 三省堂 2013年)に見られるように、日本語の方言研究、なかでもアクセントや音韻に特色のある九州西南部の方言を中心に研究しており、統計数理研究所との共同研究は不可欠と言う。

 事例紹介3 片岡龍峰(国立極地研究所准教授)「オーロラと人間社会の過去・現在・未来」。『オーロラ!』 (岩波科学ライブラリー、2015年)、『宇宙災害-太陽と共に生きるということ』 (DOJIN選書 2016年) 等を基盤として、オーロラ研究と古記録、『明月記』等の文学を結合して研究を進めている。100年~1000年単位で起きる大規模オーロラと磁気嵐を調べる楽しさはもとより、今後のオーロラ災害(誘導電流による停電等)への対処にも役立つ、と結ぶ。

 パネルディスカッションは、藤井良一(情報・システム研究機構機構長)と上掲3名の事例報告者の計4名、司会は佐藤洋一郎(人間文化研究機構理事)。司会の巧みな誘導で、パネラーの幼少期の経験がどう現在の問題発展につながったかも聞けた。異分野の共同研究に関心を持つ人はまだ少ないと若手が発言すると、藤井機構長が未来志向のプログラムを提案してほしいと述べる。

 5時過ぎまで「知の弾丸を楽しく浴び」、豊かな気持ちで会場を後にした。基調講演、3つの事例報告、パネルディスカッションと、すべてが定刻に始まり定刻に終わった。組織的に動く登壇者と裏方に驚かされる。なお各位の報告に関する主要項目や図、関係文献等、短いペーパーがあれば、さらに有難い。

 このシンポジウムの次の企画と新人の登場を心より期待したい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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