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IUCの卒業発表会

 IUCはアメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(Inter-University Center for Japanese Language Studies)の略称である。本ブログのリンクで読める『都留文科大学学長ブログ2011~2014』の111号「IUC創立50周年を祝す」(2013年12月16日)でその概略を「…伝統ある世界で唯一の上級日本語教育機関、約1800人もの卒業生を輩出している。アメリカ等の大学で日本語を勉強した学生から約40名が選抜され、毎年、10か月間(40週=10週×4学期)、計700時間におよぶ日本語の集中特訓を受ける。その最終日に集大成として行われるのが、例年6月初旬の卒業発表会である。…」と記した。

 日本にはない素晴らしい機関である。若く優秀な日本理解者が一人でも増えればと、私もIUCの東京から横浜桜木町への誘致(1987年)、そして桜木町から現在のパシフィコ横浜への移転(1991年)の手伝いをした。とくにケネス・バトラー所長(故人)とは公私にわたり親しかった。現所長のブルース・L・バートンさんには、26年前にもお会いしている。青木惣一副所長は日本語教授法の柱で働き盛りである。

 その後、本ブログでも「2つの研究発表を聴く」(2014年6月12日)と「学生たちの三溪園印象記」(2017年10月24日)を載せた。とくに後者は来日して間もない10月2日の来園であったため、学生たちに新鮮な印象を書いてもらい、8名の文章を転載した。

 そして2018年6月4日(月曜)から6日(水曜)までの3日間、63名の卒業発表会が開かれた。以前は40名程度だったと記憶していたので青木副所長に尋ねると、これほどの人数は開校以来初めてで、教室を増やす等々「嬉しい悲鳴」を上げているという。

 発表は一人の持ち時間が15分(2問ほどの質疑応答をふくむ)、朝10時から夕方まで、3日間にわたった。私は最終日の午後の部、下記10名の発表に間に合った。

 ウォルター・ヘア「人形浄瑠璃の根本テーマ-心中-」。エリック・エステバン「俊成卿女の和歌に見る本歌取りへの態度」。ミョウレイ・セツ「句題和歌における漢詩受容-慈円と定家―」。スージー・キム「姿を変える女-江戸木版画における変身の記号学」。(休憩)

 ジェイソン・アレクサンダー「江戸時代の<被虜人>と対朝鮮観-朝鮮人捕虜の位置づけ-」。ブラッドフォード・ナップ「戦時の資源不足と環境問題の関係」。イクネイ・チン「婦人服と戦争-女性誌の表紙に現れるファッションショー(1930‐1945)」。ステファニー・佐久間「日韓の歴史認識の乖離」。ビーチェン・ファン「儀式化された領土問題-<竹島の日>と日本人の政治意識-」

 ほぼ毎年、私は聴きに来ているが、いつもA5版のプログラムに発表の概要(約300字)が準備されている。今年は63名分の発表概要とバートン所長の「ご挨拶に代えて」で全28ページである。

 テーマは多岐にわたる。パワーポイントを使い、ジョークも忘れない。彼らの的確な日本語、豊かな感性。ついつい引き込まれる。

 このなかに、三渓園印象記を寄せてくれた3名がいた。エリック・エステバンさんは、印象記で「…臨春閣の中の蟻壁には驚くことに和歌が見えます。その発見は古典文学を勉強している私にこの別荘をより楽しませてくれました。…」と記しており、彼の発表「俊成卿女の和歌に見る本歌取りへの態度」と繋がっていることが分かる。

 ショウレイ・セツさんは、句題和歌(漢詩の一部を題とする和歌)をめぐる論考で、慈円と定家は、白居易<凶宅詩>の政教性の世界から離れて「自然に対する独自な和歌世界を築いた」と述べた。比較文学は多くの関連項目をたぐる必要があるが、印象記に「…園内ではさまざまな和風建築が各地から移築されています。伝統的な風景が凝縮されている素敵な日本庭園です。…」と記していたことと関連があるように思える。

 イクネイ・チンさんは、『主婦の友』等の婦人雑誌の表紙絵は和装の女性の顔で通すが、記述は洋装や戦時中の国民服モンペを推奨しているという点に注目する。印象記では「…ガイドの吉野さんの説明を通して、日本伝統建築の巧みさを知り、造園の構想、そして「庭屋一如」という概念を理解できるようになった。…三渓園は個人的な庭園なだけではなく、地域及び伝統文化を保存するなどの意義も感じられた。」と述べていた。

 三溪園訪問の経験が卒業発表にどう影響しているか俄かには判じ難いが、ほとんどが大学院生であり、以前からの研究テーマと関心を背景に三溪園を観たのではないか。日本語集中研修や三溪園訪問等は、忘れ得ぬ経験となるだろう。来年度の学生がどのように三溪園の印象を書いてくれるか楽しみである。

 すべての発表が時間通り進み、青木副所長が閉会の辞を述べる。「ご来賓のみなさまにおかれましては、学生たちの発表に耳を傾けてくださり、ありがとうございます。…(学生に対して)みなさんは今日で解放されます(一斉の笑い)。…これから日本語で研究や仕事を進めていくみなさんにとって、日本語は単なる<道具>以上のものとなります。そのことを自覚し、日本語を更に磨き続けてください」のエールに、どの学生も深く頷いた。
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大学のスポーツ

 5月26日(土曜)、古巣の横浜市立大学(市大)へ行く。キャンパスの北側一帯には横浜の地形の特徴である谷戸(やと)がそのまま残り、常緑広葉樹(照葉樹)の多い混合林に踏み入ると、夏でもひんやりとした爽やかな空気に包まれる。石段を9つ上ると「第2グランド 196段 5分」と手書きの小さな木製案内板。

 第2グランドにはテニスコートと多目的グランド(ホッケー、サッカー等)がある。この急坂の林をなんど往復したことか。思索のために、学生たちとのテニスのために、そして夕映えの富士山を見るために。

 関東学生テニス連盟は最強の1部から6部まで各6校が入り、それ以外の約60校が7部に属す。10年前(2008年)、5部にいた市大と6部で優勝した東大との入れ替え戦がここで行われ、雨のため2日にわたる熱戦の結果、市大が勝利(防衛)した。両校にはスポーツ推薦入試もなく、高校時代にテニスをした者も多くない。その二者の、今も心に残る大試合であった。

 階段を上り切って平らな道をすすみ、しばらく下って鉄製の急階段が第2グランドへとつづく地点で、木々の間から視界が開け、遠くに山並みが見える。その先は富士山だが、今日は見えない。下のテニスコートから、「おはようございま~す」と大声が響いた。手を振って答える。

 教職員テニス親睦会(以下、親睦会)と硬式庭球部員との、年に一度の親善交流試合の日である。階段を下り切ったところで、男子部主将(軒野秀則)と女子部主将(斉藤玲乃)が出迎えてくれた。部員は男子22名、女子10名、男子に1年生が多いとのこと。親睦会からは、仕事で出られない人もおり、男女合わせて9名が参加。

 椎の木の若葉がきらきら光り、薫風が吹き抜ける。曇りがちで少し蒸すが、絶好のテニス日和である。昨年の補修工事で、ハードコートからオムニコートとなり、足腰にかかる負担が減った。ありがたい。

 親睦会は創設が1980年頃なので、40年近く経っている。呼びかけの張本人が私で、初代の会長をつとめた。そのころ第2グランドのテニスコートが学生の部活専用として完成した。本キャンパスのコートは、私の記憶では今の図書館東側にあったクレーコート、ついで今のシーガルホール横の運動部部室あたりのコート、今の理科系研究棟あたりのコート(ここからオムニ)と移り、現在は谷戸の谷間にある弓道場の手前にある。

 現在の親睦会会長は随清遠さん(金融論)、学問に厳しく人に優しい。硬式庭球部の部長も兼ね、学生の信頼を集める。

 副会長の坂智広さん(農学)は左腕の剛速球。毎土曜の朝、季語や農暦を盛り込んだ、味わい深い名文の練習呼びかけメールをくれる。

 親睦会は会員の高齢化が進んで、20代から40代にかけての教職員がほとんどいない。子どもの頃の運動量(時間)が急減し、交通機関への依存度が高まった時代に育ち、運動習慣を持たない人が増えたのであろうか。

 「大学のスポーツ」と言えば、ふつうは学生スポーツを意味する。どの大学にも部活としてのスポーツがあり、スポーツ同好会も盛んである。部活は競技種目ごとに地域単位や全日本規模のリーグ戦、大学間の定期戦を行っている。

 学生生活におけるスポーツの役割を私は高く評価し、長く応援してきた。文章で表現したものは少ないが、ブログという新しい媒体が生まれてからは、『都留文科大学学長ブログ-2011~2014』(このブログのリンクにあり)等で折に触れて述べてきた。

 もともと「気晴らし」の意味であった英語のスポーツが、現在のようにラグビー、サッカー、野球、テニス等のゲームを意味する「近代スポーツ」として誕生したのは19世紀中頃である。近代スポーツの誕生は、都市化の進行と肉体労働の減少という近代史の特性と密接に関係している(拙著『イギリスとアジア-近代史の原画』岩波新書、1980年、第3章)。とくに高校・大学の若者たちが新生スポーツを先導してきた意義は大きい。

 そこに最近、忌わしい事件が起きた。関西学院大学(関学)と日本大学(日大)とのアメフトの定期戦(5月6日)で、日大の選手がボールを持たない関学の選手(QB)を後方からタックルして怪我を負わせた。

 それから2週間余の5月22日、危険(反則)タックルをした日大の選手が勇気ある謝罪会見をした。翌23日晩、雲隠れしていた日大の内田(元)監督と井上(元)コーチが記者会見を行ったが、反則タックルの指示はしていない等、選手と正反対の発言に批判が集中した。

 球技のなかでタックル等の接触プレーが多いのがアメフトで、次がラグビー。スポーツマンシップに基づくタックルは、かける方もかけられる方も爽快で、私もそれに魅せられてラグビーをした経験がある。だがタックルは取り返しのつかない怪我や死亡事故と紙一重であり、ルール厳守、フェアプレー精神(競技相手への敬意)の徹底が不可欠である。

 今回の事件は、スポーツ競技の例外的な不祥事にとどまらず、広く「大学のスポーツ」、「教育指導における主体性の尊重」等の問題を浮き彫りにし、日大執行部の体質等、根の深い課題をも露呈させた。

 この事件が念頭を去らぬまま、テニスコートまで来た。今回の交流試合は、1992年以来27回目であろうか。学生たちがプログラムを組み、審判やボーラーもつとめる。賑やかに声援が飛び交うなか、教職員と学生がペアを組み、4ゲームオール(第5ゲームあり)の試合を5セットこなした。

 歴代の庭球部部長が勢ぞろいしたのも嬉しい。年齢順に柴田梧一さん(経営学)、岡眞人さん(社会学)、随清遠さん(前掲)。柴田さんは今春に叙勲を受けた年齢だが、まだまだテニスは現役である。「若い」団塊世代の岡さんは、着実にテニスの腕を上げている。

 溌剌とプレーに打ち込む学生たちにつられ、私はいささか張り切りすぎた。学生が異世代と交流試合をする、これもまた「大学のスポーツ」の一つの姿であろう。

身近になった機械翻訳

 4月24日(月曜)の午後1時~4時半、東京駅近くの丸の内サピアタワー内ステーションコンフェレンス5階で、豊橋技術科学大学(1976年設立の国立大学)が主催する「機械翻訳シンポジウム AIで変わるグローバルコミュニケーション-身近になった機械翻訳」が開かれた。

 ホットな話題であり、その成否がグローバル化時代の日本と世界の未来を左右するほど大きなテーマである。メールで案内をくれたのが後述の藤原洋さん、本ブログでも何度か取り上げた(2014年10月1日の「地球環境とサイエンス」や2016年5月24日の「ありがたき耳学問」等)。

 まず原邦彦(豊橋技術科学大学副学長、以下、敬称略)の主催者挨拶で、昨年6月に始まった共同研究の経過と現在の課題についての概要説明があった。共同研究の相手は、この日の共催者である日本マイクロソフトとブロードバンドタワーの2社で、テーマは自然言語の機械翻訳、その活用範囲を主に日本語出版物の外国語訳とインバウンド(訪日外国人)向けの地域情報等の外国語訳(と対話)に絞る、としている。

 ついで共催者の日本マイクロソフトCTO榊原彰とブロードバンドタワー会長の藤原洋が挨拶、お二人は大学が機械翻訳の技術向上に邁進するのに対し、企業としてその支援体制と普及にどう取り組むかを語る。ここで「日本語文献の翻訳発信」と「訪日観光客対応」という2つの緊急需要に応えるための機械翻訳の社会的役割が明示された。

 基調講演は井佐原均(豊橋技術科学大学教授、情報メディア基盤センター長、本共同研究のリーダー)による「機械翻訳が広げるグローバルコミュニケーション」。今回の講演の前提となる氏の研究課題を知ろうと、同大学ホームページで見ると「人間の知的な活動の中核である言葉に関する研究を通して、コンピュータによる言語理解を実現」することとして3つの具体的テーマを掲げており、とくに下記の2つが深く関係している(「です、ます調」を改めた)。

 テーマ1:「人間の思考を模擬し、発想を支援する Creative Information Retrieval技術の研究」。その概要は「人間の発想を支援する創造的情報検索(Creative Information Retrieval)システムの研究。辞書やウェブの文書から言葉の意味関係を抽出し、人間の思考に合った概念ネットワークを作成、このネットワークを用いて、人間と同じように連想するシステムを作成する」こと。キーワードは、概念体系、語彙意味論、情報検索、発想支援。

 テーマ2:「国際競争力の強化のための産業文書の効率良い多言語化の研究」。その概要は、「自動車や楽器など東海地方の中核産業の企業文書を対象に、重要語句の抽出技術や後編集技術を確立することにより、文書の多言語化を支援する。機械翻訳の実用化に向けて、情報発信のための(機械)翻訳環境を実現する。具体的には、日本語の規格化(制限言語)、対訳用語辞書や対訳データベースの構築、集合知による後編集の研究を行う。」キーワードは機械翻訳、情報発信、サービス工学。

 プロジェクト進捗報告「実用化に向けて。研究からビジネスへ」(井佐原均+AIスクウェア)が示すのも、テーマ1と2に関連が深そうである。

 ついで長尾真(京都大学元総長)が特別講演「機械翻訳の次の課題」で研究の現段階と次の課題について述べた。ア)論文等のテキストの機械翻訳は語彙数の増加等により急速に向上するが、イ))対話文等の機械翻訳は文脈や発語場面の設定に課題が多く残り、ウ)文学作品等の機械翻訳は難しい、と。

 休憩をはさんで、クリス・ベント(マイクロソフト研究マネジャー)の招待講演「機械翻訳技術の最先端」が行われた。その講演内容にも、英語の講演がすぐ日本語に訳されスクリーンに映されるとの予告にも期待が膨らんだが、思わぬ伏兵(プロジェクターの不具合)によりスクリーンには写されなかった。だが各人のスマホには反映され、概要を把握するには十分な訳文であった。

 日本マイクロソフトは、本年4月7日、榊原彰(前掲)が次のように表明したばかりである(要約)。「Microsoft Translator アプリや Skype 翻訳(Skype Translator) など Microsoft Translator を活用したすべてのアプリとサービスにおいて、日本語をテキスト翻訳および音声翻訳の双方が可能な 10 番目のサポート言語として追加する。これにより日本語を話す人々は、既にサポートされている 9 言語(アラビア語、中国語(マンダリン)、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語)を話す人々と、リアルタイムに対話ができるようになる。」と。このお披露目も兼ねていた。

 最後のパネル討論「機械翻訳がもたらす新しいコミュニティーへの期待」には、各分野から坂村健(東洋大学、元東京大学教授)、熊田順一(JTB総合研究所主任研究員)、溝口敦(メディアドゥ取締役)、藤原洋(前掲)、田丸健三郎(日本マイクロソフト業務執行役員NTO)の5氏が参加し、井佐原均(前掲)の司会で進められた。各分野の挑戦と経験を踏まえた発言はとても興味深く、堪能できたのは参加した聴衆の特権である。

 私の独断と偏見で、いくつかの発言を記しておきたい。①安価な機械翻訳ができれば、視聴覚障害にも応用が可能になる。②外国語の障壁が低くなる分、コミュニケーション力を増やす教育が望まれる。③翻訳は文章の「送り手」と「受け手」のどちらが適しているか、それぞれの利点は何か。④訪日観光客はいま世界で16位、目標値を高くし2020年までに4500万人を目ざしたい、経済効果は乗用車2台=訪日観光客3人に相当する。⑤旅マエ・旅ナカ・旅アトをつなげるには機械翻訳による情報提供は不可欠、それを通じて日本の「美しさ」と「楽しさ」の深淵へ誘うことができる。⑥機械翻訳により日本の膨大な書籍をデジタル出版して外国へ提供し、電子図書館も作りたい。⑦全訳ならぬ「要約の技術」も展開できないか。⑧機械翻訳の精度が95%に近づくと新たな難問が生じるのではないか。

岡倉天心市民研究会

 岡倉天心市民研究会(岡倉天心横浜顕彰会)とは、天心(1862~1913年)の生誕150年、没後100年を記念し、2013(平成25)年、三溪園で茶会を、そして横浜市開港記念会館(天心の生誕地)で「天心フォーラム」を開催、これを受けて作家の新井恵美子さんを会長に、千葉信行さん(元神奈川新聞社)を事務局長として2014年6月に発足した団体である(以下、同会)。

 ついで同年8月に同会は会報『天心報』を創刊、以来刊行をつづけ、今年10月刊が第14号である。A4(4段、縦組)の6~12ページ組(号による)で講演録が中心。千葉さんの情熱と広い人脈が光る。

 この「天心フォーラム」について、私は『(都留文科大学)学長ブログ』106号(2013年11月1日、本ブログのリンクにあり)に一文を掲載、「しばらくは天心を追いかけ、私なりの天心観、天心をめぐる人の環、明治期の世界情勢、日清・日露戦争という 100 年前の大転換期を考えてみたい」と書いた。

 それから3年近くを経て、本ブログに「20世紀初頭の横浜-(7)岡倉天心『日本の覚醒』」(2016年9月20日)という短文を書くことができた。天心の英文3部作(ほかに『東洋の理想』及び『茶の本』)のうち、本書は美術論ではなく、江戸時代以降の日本人の根底に流れる<精神>に関する史論である。

 そして2016年10月22日(土曜)、初めて同会主催の市民講演会(横浜市開港記念会館)に出かけた。講演に先立ち、「岡倉天心生誕之地」の生誕碑(上が御影石、下が大理石)を囲み「天心忌」(命日は9月2日)が行われた。碑の題字は日本美術院同人・安田靭彦、天心の顔のレリーフは日本美術院同人・新海竹蔵による。新井会長はやむない事情で欠席、高井祿郎さん(副会長)や千葉さんたちに、私も飛び入り参加させてもらった。

 この生誕碑の由来を千葉さんに尋ねると、カバンに入れた冊子『岡倉天心生誕記念碑建設記念』(全53ページ)のコピーを気前よく下さった。この碑は横浜開港100周年(1959年=昭和34年)を機に、その前年に発足した「岡倉天心生誕碑建設委員会」が提案、募金で造られた。冊子には除幕式の写真6葉、扇谷義男の「献詩」、天心の略歴、世話人(内山岩太郎、平沼亮三、野村洋三、半井清、大仏次郎、唐沢俊樹、矢代幸雄の錚々たる名士7名)による発起人ご承諾お願い、除幕式次第、寄付金一覧、建設費収支明細書(594,100円、うち3,100円が差引不足)、除幕式(1958年5月16日)の模様、来賓挨拶、欠席者の挨拶文等が含まれる。矢代幸雄挨拶(記者の記録)には天心とウォーナーやタゴールとの交流に触れた部分もあり、貴重である。

 この横浜開港100周年は戦後の復興過程にあり、開港50周年祝賀会(1909年)や後の開港130周年(1989年の横浜博覧会)、開港150周年(2009年)に比べて動きが鈍かった。生誕碑のある一帯も駐留軍の接収地内にあっただけに、その建造は大きな意味を持った。今年で58年になる。

 なお天心が生まれた時代の横浜居留地、彼が英語の話す・読む・書くを修得した環境等、またその前提となった日米和親条約(1854年)、日米修好通商条約(1858年)、横浜開港(1859年)、「関内」や「居留地貿易」については、上掲のブログ拙稿「20世紀初頭の横浜」等をご覧いただきたい。

 1時半から始まった第15回講演は、古田亮さん(東京芸術大学美術館准教授)の「日本美術を見る『目』-岡倉天心に学ぶ絵画の見方」。古田さんの専門は美術史、キューレータとして展示企画を精力的に展開する一方、執筆にも多忙である(『俵屋宗達-琳派の祖の真実』2010年、平凡社等)。

 今回の講演は『美術「心」論 漱石に学ぶ鑑賞入門』(2012年)や図録『夏目漱石の美術世界展』(2013年)等を踏まえ、「天心に学ぶ、美術作品の見方」(知・情・意の各方面から)、「過去を見る目」(とくに雪村をめぐり)、「同時代を見る目」(国内勧業博覧会の天心の審査要領、品位・意匠・技術・学識の4点)とつづき、最後に「天心没後の日本画」にも触れた。詳細は『天心報』の次号に掲載予定である。

 これまでの『天心報』掲載の講演録のタイトルを一覧する。

 創刊号(2014年8月):大矢紀(日本美術院同人)「日本人の器超えた大人物」。第2号:新井恵美子「横浜と幼少期の天心」+千葉信行「開港場で身に付けた英語力、その後の天心の有力武器に」。第3号:草薙奈津子(平塚市美術館館長)「天心が伝えたもの」+清水緑(三溪園学芸員)「響きあう美術の琴線-天心・三溪・観山」。第4号:千葉信行「わが天心体験―美を感じる時」+「天心、多角的アプローチ」。第5号:小田裕子(裏千家正教授)・川原澄子(表千家教授)「『茶の本』を味わう」。第6号:河合力(寛方・タゴール会事務局長)「天心・寛方・タゴール」。第7号:佐藤志乃(横山大観記念館学芸員)「天心と大観-美術でも国の近代化を担う」。第8号:山口静一(埼玉大学名誉教授)「フェノロサと天心-東京美術学校開校まで-フェノロサに育まれる天心の美術観」。第9号:田中喜芳(ホームズ・ドイル研究家)「岡倉天心とシャーロック・ホームズ」。第10号:清水恵美子(茨城大学准教授)「岡倉覚三・天心と弟・由三郎」。第11号:岡本佳子(国際基督教大学アジア文化研究所研究員)「『東洋の理想』を読む」。第12号:桶谷秀昭(文芸評論家、東洋大学名誉教授)「天心と近代-明治から平成まで」。第13号:山口静一(埼玉大学名誉教授)「天心とフェノロサ-その2 天心受難は洋画派の策略」。第14号:柏木智雄(横浜美術館副館長)「恩師の無念 絵画で表現-天心の弟子たち-観山と靭彦」。

 いずれも本格的で、平易な語り口である。開催順の講演録を再編集すれば、天心像がいっそう立体化するにちがいない。天心の存在と功績を広く世に知ってもらうため、一書の刊行を期待したい。

かながわ検定・横浜ライセンス

 地域のもろもろを探り、ときには歩いて確かめる、「知るを愛し 学びを楽しむ」をスローガンに生まれたのが、「かながわ検定」である。横浜ライセンスと神奈川ライセンスの2種がある。主催は「かながわ検定協議会」(横浜商工会議所、神奈川新聞社、tvk=テレビ神奈川)。

 横浜ライセンスは第1回を2007(平成19)年3月に開催、これまで10回実施してきた(神奈川ライセンスは第3回で休止)。10年を節目に、今年度(2016年度)をもって事業を終了する。

 横浜ライセンスには、4級(小学生向け、50問)、3級(初心者向け、100問)、2級(中級、100問)、1級(上級、50問)の4種がある。回答方式は4級が三択、試験時間は45分、また3級と2級は四択で、1級は記述式、試験時間はいずれも90分である。

 出題分野は5つ。「歴史」は昭和末までで全体の約4割、「現代」は平成の出来事で約2割、「自然分野」は横浜の地理・地形・生物・環境等で約1割、「カナロコ問題」は神奈川新聞のニュースサイト「カナロコ」の記事から採ったもので約1割、そして毎年の「テーマ問題」が約2割である。

 受験の参考図書として、かながわ検定協議会編の『よこはま百問』、『よこはま百問2009』(開港150周年記念号)、『過去問題集全1000問』、そして横浜市教育委員会・かながわ検定協議会共編『わかるヨコハマ』(協力:横浜銀行)、『横濱』誌(神奈川新聞社)の毎年春号が刊行された。

 『わかるヨコハマ』は2009年が初版で、横浜市立中学校の社会科・理科・「横浜の時間」で使われ、2015年の第7版まで版を重ねた。市立中学でこれだけ質の高い教材が作られ、教育現場で使われたのは、おそらく他の自治体にはない横浜特有のものであろう。

 横浜はきわめて若い都市である。京都遷都から約1200年、鎌倉幕府創設から800年、江戸幕府から400年という長さに比べれば一目瞭然。都市横浜は、1854年に横浜村(現在の大桟橋・県庁を含む「関内」)においてペリー提督と結んだ日米和親条約に起源し、1859年の開港を機に「居留地貿易」により急成長(本ブログの連載「20世紀初頭の横浜」等を参照)、わずか150余年の間に、全国・世界から進取の気性に溢れる人々が集まり、人口370万超の日本最大の政令市に発展した。

 そのため「三代住んで江戸っ子」に対して「三日住めば浜っ子」と言われ、因習にとらわれない、開放感に富む都市ができあがった。その一方、市民の一体感が薄いとも言われ、それを払拭しようと行われた最初の事業が、開港から50年後、1909(明治42)年の横浜開港50周年祝賀会であった。ここで開港記念日を定め、市歌(森鴎外詞)や徽章を定めた(本ブログの「開港記念日と横浜市歌」2016年6月9日号)。

 この伝統を継承し、いまも6月2日の開港記念日には全市的な式典を開催、市歌を斉唱する。また市立の小中学校は休校とし、さまざまな行事に参加できる措置を講じている。

 こうした背景を踏まえ、この10年間、横浜の多様な側面を知る一つの手段として行われてきたのが、「かながわ検定・横浜ライセンス」の資格試験にほかならない。その設問の監修・作成を担ったのが出題編集委員会である。

 委員は5名、五十音順に斉藤多喜夫(元横浜開港資料館・横浜都市発展記念館調査研究員)、佐田宏(横浜YMCA学院・ホスピタリティ実践教育センター顧問)、中村實(横浜ふね劇場をつくる会会長)、松島義章(神奈川県立生命の星・地球博物館名誉館員)と委員長の私(横浜市立大学名誉教授)、役職等は今年度のもの。最終の委員会には横浜商工会議所から松原乙彦さん、神奈川新聞社から霜崎謹二さん、協議会事務局から土屋清さんが参加、ともに終了を惜しんだ。

 委員会では1問ごとの内容や表記法をめぐり激論を交わすと同時に、過去問との関係や難易度の評価等、各方面にわたる点検を行う。私にとっては新たな調べと勉強の場であり、貴重な体験であった。

 受験者向けの関連セミナー、体験セミナー、模擬試験も行われてきた。今年度の関連セミナーは9月と10月に開催、佐田宏「横浜の観光とおもてなし」、斉藤多喜夫「近代横浜の歴史、ここがポイント」、金子昇「押さえておきたい、横浜の自然」、岡田直「ハマ線の今昔」、相澤雅雄「知られざる横浜線」の計5回。体験セミナーは横浜シティガイド協会による「横浜線を歩く」であった(すべて終了)。なお模擬試験は11月5日(土曜)と9日(水曜)の2回を予定。

 神奈川県タクシー協会やデパート、ホテル等が職員を受験させ、顧客サービス向上の一助とする等の支援もあり、一定の受験者を確保し、大きな成果を残した。10年間の合格者総数は2,887人、うち1級合格者は489人にのぼる。なお前回の第10回試験では、85歳の女性が見事1級に合格した。横浜を訪れる観光客が増えるにつれ、資格保持者の活躍に期待が寄せられる。

 一度取得したライセンスは終身有効である。「かながわ検定協議会」を構成した横浜商工会議所、神奈川新聞社、tvkの3者が原簿を保管するので、万一の紛失にも、いずれかで確認できる。

 試験はあと2回。12月11日(日曜)の第11回と来年3月26日(日曜)の第12回。なお第12回の試験は2級と1級のみとし、また2級合格者を1級の受験資格とした従来の枠を撤廃、誰でも受験できるようにした。会場はいずれも横浜市立大学金沢八景キャンパスである。

 この最後の機会に奮って挑戦していただきたい。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
園長

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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