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神奈川県立博物館協会(県博協)総会と表彰式

 2023(令和5)年5月10日(水)午後、神奈川県立博物館協会(県博協)総会があった。朝の冷気がウソのような快晴である。
 馬車道沿いにある会場の神奈川県立博物館(県博)は旧横浜正金銀行本店本館で国指定重要文化財、外観は堂々たる石造りのドイツ風建造物。なお県博の正門は、一回りした反対側の会談を上った所にある。
 そこから階段を上り、左手の地階が会場だったはずと久しぶりの総会に戸惑い気味だったが、目の前に突然に現れたのが、県博の嶋村元宏主任学芸員。昨年の青山学院大学シンポジウム「アヘン戦争と日本の開国」の仕掛け人であり、進行役もつとめた人物。彼はまた来る6月3日の横須賀市開国史研究会総会で講演する予定と連絡があり、出席すると返事を投函したばかりであった。
 その嶋村さんが「表彰、おめでとうございます」と言い、先導して地階の会場(講堂)へ案内してくれた。細長い会場の所定の座席まで案内すると、「…これから出かけなければならないので、ここで失礼します」と一言を残して立ち去った。

【県博協総会の議題等】
 ほどなく13時30分から総会が始まり、配布の冊子(41ページ)に沿って進む。
 議題1 令和5年度役員の改選について
 議題2 令和4年度事業及び決算・監査報告について
 議題3 令和5年度事業計画及び予算案について
 報告事項 
 1 入会の館園について
 2 令和5年度 川崎市市民ミュージアム救援活動について
 3 その他
 表彰 令和5年度 神奈川県博物館協会表彰

 ページ1の「令和5年度 神奈川県博物館協会役員名簿(案)」によると、会長が神奈川県立博物館館長の望月一樹氏、副会長に3氏、理事に13氏、監事に3氏、また東海地区博物館連絡協議会役員に3氏が並ぶ。
人事異動等による新役員には〇印を付してあり、(公財)三溪園保勝会三溪園園長 海野晋哉ほか6名に〇印がある。海野さんは私の後任の三溪園園長である。
 この参考として、人文科学部会、自然科学部会、機能研究部会の名簿がつく。

 収入支出については、10ページ資料に令和4年度の総収入額2,792,090円、総支出額が2,037,577円、差引残額753,513円(翌年度繰越金)とある。16ページ資料の平成5年度収支予算(案)は、収入予算額が2,914,528円、支出予算額が2.680、000円、収支差引234,528円(翌年度」繰越金)とあり、前年度より増加している。

【神奈川震災100年プロジェクト】
 議題3に「県博協 防災yearの取組について」があり、今年が大正12(1923)年9月1日に起きた関東大震災(大正関東地震)から100年の節目を迎えることから「神奈川震災100年プロジェクト」を立ち上げると宣言、各館園でいま計画中の展示計画を一覧してある(19ページ)。
 これに関連して、22ページに「神奈川県立博物館協会総合防災計画」(平成28年策定)、23~24ページに「神奈川県立博物館協会災害時相互救済活動要綱」を掲げる。

【現在の加盟館園は97】 
 32~35ページに「神奈川県立博物館協会会則」、そして36~38ページ「神奈川県立博物館協会加盟館園名簿」がある。これに依ると現在の加盟館園は97である。

【表彰式】
 最後に今年度の表彰式があり、望月会長から症状が授与された。
功労者として2名。
 国見徹(大磯町郷土資料館)  根拠=第2条1号 協会役員在任年数 11年
 加藤祐三(三溪園)  根拠=第2条1号 協会役員在任年数 11年
永年勤続として、以下の10名。
 秋山大志(新江の島水族館) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 笠川宏子(新江の島水族館) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 北嶋 円 (新江の島水族館) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 桜木 徹 (新江の島水族館) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 根本 卓 (新江の島水族館) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 吉田 敬 (山口蓬春記念館) 根拠=第2条2号  勤続年数19年
 大谷美穂子(横浜市立野毛山動物園) 根拠=第2条2号  勤続年数16年
 白木久史(横浜市立野毛山動物園) 根拠=第2条2号  勤続年数17年
 東野晃典(横浜市立よこはま動物園) 根拠=第2条2号  勤続年数23年
 柏木智雄(横浜美術館) 根拠=第2条2号  勤続年数35年
 予定を数分遅れて14時45分に終了、15時からの研修会に待機していた方々と慌ただしく入れ替わった。三溪園の中村さん(美術担当学芸員)の笑顔もあった。

【令和5年度特別展「あこがれの祥啓-啓書記の幻影と実像-」を拝観】
 空腹を感じたので、外へ出て、正面入り口の対面にある蕎麦屋 つけ天 味奈登庵(みなとあん)で、すこし遅い昼食を取った。何度も通った、なつかしい味である。外は眩しい陽光、上着を脱いで階段を上り、また館内へ。
令和5年度特別展「あこがれの祥啓-啓書記の幻影と実像-」を拝観するためである。会期は4月29日から6月18日まで。令和5年度「地域ゆかりの文化遺産を活用した展覧会支援事業」の一つである。前期が5月21日まで、後期が5月23日~6月18日で、前期と後期で展示作品が入れ替わる。
リーフレットの冒頭に次のようにある。
 「水墨画の巨匠雪舟が生きた室町時代、雪舟と並んで重要な絵師が鎌倉の建長寺にいました。
祥啓と名乗るこの画僧は、京の室町幕府で絵画を学びます。同朋衆の芸阿弥を介して幕府秘蔵の中国絵画を間近に見る機会を得ました。
 三年にわたる京都滞在を終えて鎌倉に戻った祥啓は、本展覧会に出品されるような、山水画、花鳥画、人物図を描きます。祥啓の絵が人気を博したことは、祥啓次世代の絵師たちが残した多数の模倣作品によって明らかとなります。
 祥啓の通称である「啓書記」の絵として今に伝わるたくさんの絵のなかには、素材や画材の観点から、桃山時代や江戸時代、あるいはそれ以降の絵と判断される絵も存在します。つまり室町時代の祥啓その人が描いたとは言えない「啓書記」の絵です。
室町時代の祥啓の知らないところまで拡がる「啓書記」のブランド――
祥啓ひとりに注目した初めての展覧会です。
祥啓にあこがれた絵師、大名、数寄者たちの歴史に迫ります。」

【多彩な展示品】
 5章に分けた全113の展示品は、県博所蔵のもののほか、根津美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、南禅寺、建長寺等所蔵や個人蔵をふくめ全国から集めたもの。その豪華ぶりは、他では味わえない。
第1章  前史-祥啓登場前夜          1番~13番
第2章  清玩-祥啓画を味わう         14番~41番
第3章  追慕-祥啓をしたう           42番~89番
第4章  輪郭-狩野派が見た啓書記      90番~103番
第5章  愛好-近代数寄者が愛した啓書記  104番~113番

【「山水人物図屏風」 伝祥啓と出会う】
眩しいほどの外光から暗い部屋に入ったせいか、解説の字が読みにくい。いや、読めない。作品一覧はもちろん、個々の作品に付した解説も判読できない。私の視力の衰えかもしれない。
 展示品保護のため、光量を落としているせいもあろう。衰えてきた私の視力に合わせる必要はない。言うまでもなく、貴重な展示品の保護が優先する。
 それにしてもイライラする。そもそも掛軸のサイズ自体が小さい。そんな不満をブツブツと言いながら、閲覧するなかで、突然、目に飛び込んできた作品があった。第3章の最後、89番「山水人物図屏風」伝祥啓、東京国立博物館蔵である。重要美術品を指す●が付いている。
 大きめな四曲一隻の屏風に大ぶりの山水が描かれ、よく見ると各扇にそれぞれ談笑している人物が描かれていかる。
寸法は測らなかったが、一扇がそれまで見てきた掛軸の数倍はあろうか。
 その図柄の大きさが私の胸に迫ってきた。伝祥啓とあり、祥啓の作品とは断定できないというが、これに出会ったことだけで私は満足した。
 ブツブツの不満は雲散霧消し、感謝の気持ちでいっぱいになった。

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所蔵品展「古都へのあこがれ」

 三溪園内苑にある三溪記念館で、所蔵品展「古都へのあこがれ」が開かれている。会期は5月31日(日曜)まで。企画・展示解説は吉川利一学芸員(事業課長)。
新型コロナ禍のなか三溪園への入園者数は激減、経営改革への各種の取り組みが求められ、事業課長としての吉川さんは息つく暇もなかった。それに加え、この1年間は専任学芸員の不在があり、所蔵品展を中心とする作業も吉川さんが担った。本年度から中村暢子学芸員が着任したため、安堵している。

第1展示室
所蔵品展  古都へのあこがれ
三溪園は、今年完成100周年を迎えています。
明治35(1902)年ごろといわれる造成開始から、明治39(1906)年の一般公開を経て、三溪園全園が完成したのは大正11(1922)年、今からちょうど100年前のことでした。
自らの価値観や美意識をもって原三溪自身がこの庭を構想したといわれていますが、そこには故郷・岐阜の風景や桃山時代、古寺などのイメージが複層的に重ねられています。本展では、“古都”をキーワードに所蔵品から、原三溪が庭園に込めた世界観の一端を紹介します。

今村甚吉宛て原三溪書簡 明治36(1903)年5月16日
今村甚吉は法隆寺西門前町で仏教美術を専門に扱っていた骨董商。現在三溪園ではこの人物に宛てた三溪の書簡31通を所蔵しています。いずれも三溪の古美術・古建築の蒐集や庭園造成の上での価値観や思い、経過などを知ることができる貴重な資料です。
展示中の書簡では今村甚吉に、庭園研究のため奈良や高野山、京都を視察させている園芸師の海老沢亀吉の面倒をみてくれるよう依頼しています。
特に注目されるのは、ある地点から塔と三笠山を望む奈良の風景をぜひ見せてやってほしいと強調していることで、現在三溪園の代表的な景観となっている、池越しに三重塔を望む風景との関連性が想像されます。

陳者今回小生方
園芸師海老沢
亀吉なる者、園庭
研究之為め、南都・
高野・京都廻遊
仕候ニ付而ハ、自然
貴地へも参り候得ハ、
鳥渡法隆寺
等一見を為得
被下度、且又奈良
ニて例の小生曾て
所望いたし候地面より
前方塔三笠山等
眺望之風景、是非
一覧為致度候間、
此れも乍御面倒、
何とかして一見為致
候様、御取計被下度、
奉願上候。
          草々
五月十六日  原
今村君

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原三溪書「南都吟」
秋、奈良を旅した折に詠んだ詩。 

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日暮れ時の落葉に埋もれる寺に
雨が降り鐘の音が響くという情
趣は、三溪が好んだ世界観の一
つです。
西風吹落葉
自作古都秋
暮雨南朝寺
鐘声似旧不


原三溪「四明嶽」
京都と滋賀にまたがる比叡山の一高峰の四明岳を描いた作品。比叡山は、京都から見て鬼門にあたる北東に位置するため、古くより「王城鎮護の山」ともいわれました。本作を描いたこの年は、関東大震災から1年が経過した時期で、大地の鎮護の願いが込められた作品です。

震災復興に賭ける三溪の<覚悟>を示すような、迫力あるタッチが印象的。

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(原三溪「四明嶽」)


原三溪書「隣花庵口吟」
隣花庵は、かつて京都・嵐山の臨川寺の境内にあった三溪の別荘。
酒にほろ酔い、花の香が満ちる心地良さが伝わる詩です。
先生雖愛酒
三爵自陶然
酔領春天地
落花満枕邊


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絵はがき
明治33(1900)年に私製はがきの発行が認められると、日本各地で続々と様々な絵はがきが作られるようになりました。ここ三溪園の周辺でも土産物店などで販売されたようで、現在でも園内各所をとらえた絵葉書が多数みられます。
ここでは、造成半ばの様子がわかる2点を紹介します。

明治時代末ごろの外苑
現在では園のシンボルとなっている三重塔がまだ移築される前の珍しい写真。園内には当初2,000本もの梅の木が東京・蒲田、川崎・小向(御幸)、横浜・杉田の梅林から移植されましたが、数年後には暴風により壊滅的な被害を受けました。次いで植えられた植物が写真に写る花菖蒲でした。その数96種10万株を数えたといわれますが、これも海からの塩害により長くは定着しませんでした。

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(明治時代末ごろの外苑)


造成中の内苑 大正10(1921)年ごろ
当時一般に公開されていたのは現在の外苑の部分で、内苑は原家のプライベートな空間でした。写真では公開部分との境に仮設の塀が設けられ、その向こうに資材置場と思われる簡易な建物が見えます。土塁を経て臨春閣の背後から上方にのびる瓦屋根は、源頼朝の木像(現在は東京国立博物館所蔵、重要文化財)を安置していた源公堂と、月華殿までの石段上に設けられた回廊。いずれも戦時中に取り払われ、現存はしていません。

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(造成中の内苑 大正10(1921)年ごろ)


小島一谿「三溪園図」

牛田雞村「三溪園全図」
描かれている建物などから、関東大震災以前の大正10(1921)年ごろの三溪園であることがわかります。右手の大きな建物は原家の本邸(現在の鶴翔閣)で、当時では珍しかった車が停まっています。三溪記念館の辺りは平地で、その先には海越しに富士山が見えています。


第2展示室
牛田雞村「室生の巻」
奈良県宇陀市にある室生寺周辺を描いた作品。美しい山と川に囲まれた風景を長尺の絵巻に巧みに表現しています。室生寺は小振りで女性的な美しい姿の五重塔があることで知られる寺です。
この絵巻では、清流が鬱蒼とした山あいに建つ寺の近くを廻ったあと、磨崖仏の前を流れ、最後は支流と合流するまでが描かれています。

篆書屏風
奈良・東大寺の正倉院宝物の中にある「鳥毛篆書屏風(とりげてんしょびょうぶ)」を模して三溪が作成したもので、縁にある穴に紐を通してつなぐ、古い形式の屏風です。伝統的な調度を暮らしに取り込んで楽しんだ、三溪の生活スタイルを伝える作品です。

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(篆書屏風)


黒漆大壇  原三溪旧蔵品
密教寺院にあって祈祷の際に密教の法具を並べるためのもので、この大壇はもと奈良の海龍王寺観音堂に伝えられたものです。元禄13(1700)年の銘が確認できます。

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(黒漆大壇)


木製多宝塔  原三溪旧蔵品   重要文化財
多宝塔は平安時代から造られた日本独自の建造物で、これは建物としての塔を忠実に縮小して舎利安置塔 (釈迦の遺骨を納める塔)としたものです。本品は、三溪が明治36(1903)年に奈良の古美術商から購入したもので、内部に遺された墨書銘から南都(奈良)の大工によって室町時代に造られたことがわかります。

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(木製多宝塔)


なお第3展示室では、第四十六回三溪園俳句展が開かれている。会期は3月10日から6月1日まで。本ブログ2022年3月25日掲載の所蔵品展「歴史を想う」に掲載してあるので、ご参照いただきたい。



夕暮れと菊花(所蔵品展 2021年秋冬)

 三溪園の菊花展が10月26日(火曜)から始まった(~11月23日火曜・祝)。つづいて「紅葉の遊歩道開放」(11月27日(土曜)~12月19日(日曜))。これら2つの季節行事に合わせて、三溪記念館では2つの所蔵品展が開かれている。期間は10月28日(木曜)から12月19日(日曜)まで。
第1展示室  所蔵品展Ⅰ  四季のうつろい―夕暮れ
  第2展示室  所蔵品展Ⅱ  四季のうつろい―菊花
 展示担当と以下の解説は、前回につづけて吉川利一学芸員(事業課長)である。

第1展示室
所蔵品展Ⅰ  四季のうつろい―夕暮れ  
 “秋は夕暮れ” ご存知、平安時代の女流歌人・清少納言(せいしょうなごん)が著した随筆「枕草子(まくらのそうし)」の冒頭にみられる一節です。秋は夕暮れ時が趣深い。冬に向かって日が短くなるこの季節、日暮れ時に特別感じるしみじみとした風情は1000年以上経った現代の私たちにも変わらず受け継がれている感覚です。
 本展では、所蔵の作品からこうした夕暮れの風情をお届けします。

1 横山大観「煙寺晩鐘」 大正(1915)年
 木々の間には夕霧が漂いはじめ、あたりはそろそろ夜の闇が迫るころ。寺へと急ぐ尼僧の姿や空にはカラスも描き込まれ、日暮れの刻限を知らせる鐘の音までもが聞こえてくるような風情です。
   
2 黒田古郷「夕陰」 

3 今村紫紅「山村夕暮」
今村紫紅「山村夕暮」


4 小林古径「夕暮」
 地面の部分には薄く墨が塗られ、夕闇が迫っていることがわかります。畑に植えられた作物を見ると季節はまだ夏のようですが、暑さも和らいでくる頃のような秋の兆しも感じさせる画面です。
  
5 原三溪「漁村返照」(瀟湘八景のうち)
 中国湖南省にある瀟湘は景色の優れた地として知られ、古来山水画に多く採りあげられてきました。「瀟湘八景」はこの土地の8つの風景をセットにした画題で、「漁村返照」はそのうちの1つ、夕日に照らされる漁村の情景を描いたものです。
中国発祥の画題ながら、本作では身近な日本の漁村風景のように描かれています。市井の人々の暮らしに目を向けた三溪らしい表現です。
原三溪「漁村返照」


6 原三溪「薄暮」 
画中に「鬼怒川奥所見」とあり、旅先の栃木県鬼怒川で描き留めたスケッチをもとに制作されたものであることがわかります。川沿いに建つ家には子どもと杖を曳く老人、入浴中の人物、そして荷車を曳く馬とともに描かれているのは仕事から帰り着いたばかりのこの家の主でしょうか。季節は夏のようですが、秋の気配も感じられる、山里のたそがれ時のワンシーンを捉えた作品です。
三溪の遺した絵にはこうした農山村の日常の暮らしを描いたものが多く、三溪の市井の人々に向けた暖かなまなざしが感じられます。
原三溪「薄暮」



7 ケース内 絵はがき
 明治33(1900)年に私製はがきの発行が認められると、日本各地で続々と様々な絵はがきが作られるようになりました。
 ここ三溪園の周辺でも土産物店などで販売されたようで、現在でも園内各所をとらえた絵葉書が多数みられます。
 ここでは、夕暮れをキーワードに2点の絵葉書を紹介します。
三溪園風景(正門から三重塔を望む)
 三溪園の正門付近からは、丘上の三重塔の後方に日が沈む光景が望めます。日が短くなる秋から冬にかけては開園時間内に、夕日を背にした三重塔のシルエットが楽しめます。展示しているものは、夕景のイメージでしょうか、モノクロ印刷の上に薄く彩色が施されています。
夕日ヶ丘
 旧燈明寺本堂背面近くの山を写したもの。
 展示の絵はがきでは、「日夕ヶ丘」となっていますが正しくは「夕日ヶ丘」。
 美しい夕日が眺められたことからこの名がつけられたのか、あるいは夕日が当たる場所であることからなのか、現在では詳細は不明です。

第2展示室
所蔵品展Ⅱ  菊花  
 三溪園で開かれている菊花展には、毎年大輪の花や盆栽仕立てのものなどバリエーション豊かな菊花が並びます。その多くは元をたどれば江戸時代や明治時代に端を発しているもの。こうした園芸文化が現代まで連綿と受け継がれていることを知れば誰しも驚かされるのではないでしょうか。
 本展では、そんな昔から親しまれてきた菊にちなむ作品を紹介します。

8 菊図屏風  原三溪旧蔵
 背景には金箔を押した地にさらに細かく切った金箔(切箔 きりはく)をまくなど華やかな雰囲気のある作品です。
紅白の菊花が竹や木の枝で作られた籬(まがき)と呼ばれる垣根の各所に咲き乱れる様子を描いた構図で、花と籬は貝を砕いた絵具(胡粉 ごふん)を塗り重ねて半立体的に表現する「盛上げ彩色」という技法が用いられています。

菊図屏風1


菊図屏風2


9 原三溪「菊に小禽」(菊に雀)

原三溪「菊に小禽」


10 高台寺蒔絵菊桐文箱  原三溪旧蔵
 高台寺蒔絵とは、豊臣秀吉とその妻・ねねを祀った京都高台寺の霊廟の扉などに施されている様式の蒔絵で、豊臣家の紋である菊桐文を配したり、2つの違う模様や色合いなどを組み合わせる片見替り(かたみがわり)というデザインを取り入れたりなどの特徴がみられます。

11 菊型燭台 
 燭台の台座は16弁の菊花です。

12 臨春閣 瀟湘八景図  
 三溪園にある歴史的建造物の中で、三重塔と並ぶ代表的な建物が臨春閣です。江戸時代初期、紀州徳川家の別荘として築造されたといわれるこの建物の内部には障壁画が付属しており、本作品はこのうちの第一屋・瀟湘の間に嵌め込まれていたものです。(現在建物内には複製を置いています。)
 瀟湘八景図は、古来景勝の地とされた中国湖南省にある瀟湘の風景を8つの画題で描いたもので、日本では室町時代ごろから描かれるようになったといわれています。
 8つの画題とは、山市晴嵐、漁村夕照、遠浦帰帆、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪です。

【三溪園のホームページに3つの案内】
(1)10月26日(火)からの菊花展について
 愛好家の高い技術により仕立てられた、大菊や懸崖、古典菊など伝統の花、繊細で風流な佇まいの小菊盆栽、盆景など、多種多様な作品を味わえます。また、園内で唯一、常時内部を公開している合掌造りの古民家・旧矢箆原家住宅(重要文化財)では、フラワーデザイナー五十嵐道子氏による「菊の生け込み」を展示。山里の雰囲気が漂う古民家で、菊の新しい魅力を感じていただけます。
 期間 2021年10月26日(火)~11月23日(火・祝) 9:00~16:00
※「切り花」11月3日(水)~、「菊の生け込み」11月6日(土)~
 料金 無料 (入園料は別途必要です)
【中央広場】 横浜菊花会
 展示点数(予定)は大菊250点、懸崖5点、千輪作り2点、江戸菊・古典三菊35点、切り花120点ほか 計約400点。
【正門藤棚広場】 小菊盆栽芸術協会長生会
 展示点数(予定)は小菊盆栽55点、大盆景5点、小盆景10点

(2)プレミアムツアー『菊めぐり』について
 「三溪園菊花展プレミアムツアー『菊めぐり』。学芸員、フラワーデザイナー、菊づくり名人と巡る特別体験《抹茶とお土産付/1回10名限》定」の案内があり、こう記されている。
 「京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置された三溪園は、四季折々の花が楽しめる横浜屈指の日本庭園です。毎年秋に開催される「菊花展」では、神奈川県内でトップレベルの栽培技術を持つ「横浜菊花会」や「小菊盆栽芸術協会長生会」のバリエーション豊かな作品が集められ、秋の風物詩として人気を集めています。また、岐阜の白川郷から移築された古民家「旧矢箆原家住宅」の中では、フラワーデザイナー五十嵐道子氏とのコラボレーションによる「菊の生け込み」作品が展示され、古民家と融合した菊花の新しい魅力も楽しめます。 開催は11月13日(土曜)の午前と午後、翌14日(日曜)の午前と午後の計4回、参加費は各7500円。この企画の収益は三溪園の維持・管理に役立てます。」

(3)菊の見どころトーク
 出展者の横浜菊花会の会員がガイド役となり「菊花の種類」「観賞のポイント」を解説する<菊の見どころトーク>が以下の日程で行われます。菊の見方を知れば、菊花展をより楽しめます!
 10/30(土)、10/31(日)、11/6(土)、11/20(土)、11/21(日)は11時、13時半、14時、14時半。11/3(水・祝)、11/15(月)は13時半、14時、14時半。

【秋晴れの菊花展を巡る】 
 さて、菊花展が始まった10月26日(火曜)から、あいにく曇や雨がつづいたが、28日(木曜)は一転、清々しい秋晴れとなり、同時に三溪記念館で上掲の展示「夕暮れと菊花(所蔵品展)」が始まった。
 1時からの職員ミーティングの最後は揃って記念館へ。ここで吉川さんは事業課長から学芸員の顔になり、「夕暮れと菊花(所蔵品展)」をめぐるギャラリートークを行った。展示品を見ながら、企画の着想に始まり、それを実現するまでの過程を知る感動のトークである。 
 なかでも私は第2展示室にある「8 菊図屏風」の菊花が、あたかも綿毛の毬のように描かれているのが印象に残った。
記念館を出て、中央広場で開催中の菊花展へ向かう。眩しい陽光の下、絢爛豪華、色も形も鉢の大小もさまざま多彩な菊が並ぶ。
 準備に余念のない横浜菊花会の皆さんお揃いの印半纏の背中には、16の花弁が放射線状に並ぶ<一文字(いちもんじ)>という品種の菊花が配され、中心部に横浜菊花会の文字。
 他のブースには厚物(あつもの)、厚走り(あつばしり)、管物(くだもの)等の表示がある。さらには産地の地名を付した伊勢菊(いせぎく)、肥後菊(ひごぎく)、嵯峨菊(さがぎく)等もある。
 いずれも菊花会の皆さんが丹精して育てた菊である。園芸品種の菊栽培は、冬に芽をとり、春に植え、夏に成長させ、秋に観賞するという。
 記念館展示の菊花(8 菊図屏風  原三溪旧蔵)に描かれた菊と、ここに展示している菊とは、いかにも違う印象を受ける。あちらが菊の祖先なのか、あるいは別種なのか。
 事務所に戻り、吉川さんに菊の種類について尋ねると、羽田雄一郎主事が作成した図と解説があるとのこと、題して「菊の見どころトークちらし」(A4版の両面)。30日から始まる横浜菊会のトーク等に使うもので、すぐ原未織主事がデータを送信してくれた。事業課のチームワークの良さに感謝。以下に収録する。

菊の見どころトークちらし1


菊の見どころトークちらし2

仙台鼎談会「ポストコロナ社会の地方DX創生」

 2月18日(木曜)、16時半から2時間、オンラインで表題の「ポストコロナ社会の地方DX創生」(正確には仙台鼎談会「ポストコロナ社会における地方DX創生」)が行われた(定員300人 事前申込 無料)。
最初に連絡を頂戴したのは2月5日つけのメールで、その冒頭に(このメールは、当社代表取締役 藤原洋と名刺交換させていただいた方にお送りしております)と添え書きがあった。藤原さんと名刺交換をしたのは7年前の2014年4月だったと思う。案内文は以下の通り。

本日は、仙台応用情報学研究振興財団×東北大学知のフォーラム連携イベント仙台鼎談会「ポストコロナ社会における地方DX創生」(オンライン) のご案内です。
本イベントは、 Zoom Webinar における鼎談形式で行われます。
総合司会:舘田 あゆみ(東北大学特任教授)
登壇者:
藤原洋氏(株式会社ブロードバンドタワー代表取締役会長兼社長CEO)
村井純氏(慶應義塾大学授・内閣官房参与)
青木孝氏(東北大学理事・副学長(企画戦略総括担・プロボスト・CDO)
仙台応用情報学研究振興財団の野口正一理事長がコーディネーターとなって進めます。
主催:仙台応用情報学研究振興財団
東北大学 研究推進支援機構 知の創出センター
東北情報通信懇談会
共催:一般財団法人インターネット協会 IoT推進委員会IoT/AI時代における
オープンイノベーション推進協議会  東北大学大学院工学研究科 情報知能シス
テム研究センター(IIS研究センター)
協賛:一般社団法人東北IT産業推進機構
後援:仙台市

 鼎談の趣旨は次のとおり。「新型コロナウィルス感染症により、地域の生活や経済が一変してきました。新たな日常のなかで、感染症の克服と経済活性化の両立の視点を取り入れ、デジタルトランスフォーメーション (DX) を推進しつつ、東京圏への一極集中から、危機に強い地方経済の構築を目指す動きが活発になってきました。今回の鼎談では、コロナに強い社会環境整備、新たな暮らしスタイルの確立、消費・投資の促進などについて、DXを推進した地方創生の戦略を、スーパーシティー・スマートシティー構想も交えながら産官学の立場から討論をしていただく予定です」。 

 新型コロナのもたらす<新たな日常>、デジタルトランスフォーメーション (以下DXと略称)、「危機に強い地方経済の構築」…、総じて「DXを推進した地方創生の戦略」とある。気にはしつつも、DXはいささか苦手の分野である。だが藤原さんからのお誘いなので「素人には無縁」ではないはず、とすぐ参加を申し込んだ。

 藤原さんについては、本ブログの「地球環境とサイエンス」(2014年10月1日掲載)や「ありがたき耳学問」(2016年5月24日掲載)等に登場する。藤原さんとお会いして驚いた。それまで類似の知人がいなかったからである。藤原さんを私なりに定義すると、情報科学の最先端を走る科学者であって実業家(上掲の通り、株式会社ブロードバンドタワー代表取締役会長兼社長CEO)、そして文学や芸術等に造詣の深い文化人とでも言うべきか。

 2月18日のオンライン鼎談の当日は、一人15分の持ち時間で基本的見解を述べ(基調講演)、その後にパネルディスカッションがつづいた。論点も多岐にわたり、放映資料が多く、画面の字も判読しにくい。目を通す前に次に移って、素人には追いかけ切れない。聞き直したいと思っても、進行形中のため、戻すことができない。諦めかけていた。

 そこに10日後の3月1日(月曜)、東北大学知の創出センターの前田吉昭さんから、次のメールが届いた。「今回の鼎談会は、大変反響も大きく、登録をしたが見ることができなかった、もう一度見たいという多くのご希望がありました。そこで、登録されたかた限定で鼎談会の録画を公開いたします。…また、鼎談会での資料は以下のホームページにありますので、ご興味のある方はそちらからダウンロードをお願いいたします」。ありがたい連絡である。

 気合を入れて聴こうと思い、まずネット検索する。SoftBank「【徹底解説】デジタルトランスフォーメーション(DX)とは何か?」(2020年3月4日掲載)があった。素人には格好の解説である。そのうち冒頭の「DXの定義」を引用する。なお<変化><変容><変革>等を意味するTransを英語でXと表記することがあるためDXの省略形が使われる。日本語では<デジタル変革><デジタル化>とも呼ばれる。

 「DXが最初に提唱されたのは2004年のこと。もともとDXとは、スウェーデンのウメオ大学教授、エリック・ストルターマン氏が主張した「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念のことを指します。
 近年では、一般的に「最新のデジタル技術を駆使した、デジタル化時代に対応するための企業の変革」という意味合いのビジネス用語として使われています。
 なお、先述の「DX推進ガイドライン」(経済産業省 2018年)では、DXを「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と、より詳細に定義しています。」

 ついで「DXに必要なテクノロジー」として、①クラウド、②AI、③IoT(Internet of Things)、④5G、⑤モバイルの5つを挙げる。なお③IoT(Internet of Things)は、他でもない藤原さんの開発と命名と聞いている。

 前置きが長くなったが、膨大な資料に目を通し、いよいよYouTubeの録画を開く。まず藤原洋氏、村井純氏、青木孝氏の順で紹介したい。

 1 藤原洋氏「『ポストコロナ社会へ向けてのSDGsによる地方創生』 ~地域金融・中小企業のFinTech/デジタル化が開く未来~」。放映する資料のスライドは精選したものだが、それでも実に64枚に及ぶ。なお藤原洋の近著『全産業「デジタル化」時代の日本創生戦略』(PHP社 2018年)等を参照されたい。

 報告の論点は次の4点である。(1)「ポストコロナ社会」、(2)「失われた平成の30年とコロナショック」、(3)「Fintechの登場とコロナ後の金融ビジネスの構造変化」、(4)「地方創生の原動力 ~SDGsと地域社会のデジタル化~」。

 うち(1)「ポストコロナ社会」を次の8つの側面から定義する。①誰にもあるCOVID-19への感染リスク、②行動原理=「三密回避」、③ワークスタイル=テレワークが基本、④ライフスタイル=ホーム(で)ワーク、⑤首都圏一極集中⇒地域分散、⑥SDGsの浸透、⑦「健康」と「経済」の両立、⑧「健康」=「自然環境」+「人間」。①~⑤について説明は不要であろう。⑥~⑧は相互に関連している。

 ついで(2)「失われた平成の30年とコロナショック」を示す代表的事例として、世界企業の時価総額ランキングベスト50社にランクインする日本企業の平成元年(1989年)と、平成30年(2018年)の比較を行う。平成元年(1989年)には第1位のNTTをはじめ、当時の日本興業銀行、都市銀行が世界の上位にいて、32社がランキング。30年が経過した平成30年(2018年)には、35位のトヨタ自動車だけ。

 「平成日本の失われた30年」の要因は「デジタル化への遅れ」と「一極集中」(首都圏と大企業への一極集中)と指摘し、「平成日本の30年間に、紙からデジタル情報への移行も、 コンピュータ・ネットワークシステムへの移行も、欧米、中国、シンガポール、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランド等と比較して、極めて遅れた!」と鋭く指摘する。

 首都圏に人口の3分の1、経済の半分が集中しており、37万km2の大半の国土を活かしきれていない。大企業を経団連企業とすると経団連企業の従業員数は 約12%でしかなく、残りの88%は中小企業の従業員である。前安倍政権のキャッチフレーズに「一億総活躍社会」があったが、現在は「一億非活躍社会」である。

 次の(3)Fintechは中核的な論点であるが、いささか金融に特化した専門的内容なので飛ばし、(4)「地方創生の原動力 ~SDGsと地域社会のデジタル化~」に進もう。2014年からはじまった地方創生活動がなかなか成果をあげられなかった理由として、次の6つの分断の存在を指摘する。①「官民の分断」、②「縦割り組織の分断」、③「現在と未来の分断」、 ④「地域間の分断」、⑤「世代の分断」、⑥「ジェンダーの分断」。

 「この分断の解決策こそが、SDGs!」と主張する。平成日本の低迷の要因である「一極集中」を解消するためには、地域金融と中小企業のデジタル化が不可欠!と述べ、「重要なことはデジタル化とIT化とでは、全く異なることを理解しなければならない。IT化とは、業務に情報技術を取り入れることで、業務をITベンダーに丸投げに近い発注をすることと同義であり、丸投げに近いシステムでは、ベンダーにとって都合の良い仕組みとなっていて、ユーザーにとっては不都合なことが多く、ベンダーロックインがかかっていることが多い!デジタル化とは、DX(デジタルトランスフォーメーション:変革)と同義で、業務プロセスを全面的に見直し、デジタル化するのも、業務を実行はユーザー・サイドが責任を持つ!」

 中小企業のデジタル化とは、「従来型の大企業を頂点とするビラミッド型の産業構造の転換、下請け体質からの離脱!」と檄を飛ばし、次のように宣言する。

 「今後起こる新たな産業革命は、<産業のデジタル化>(DX)であり、最終ユーザーとサービスや部品などを提供するあらゆる企業がネットワークで相互接続され、協働し、レジリエント(強靭)なサプライチェーンの構築を意味する! 中小企業は、担当分野の技術を自社技術として確立する必要がある。重要となる新たな潮流が、オープンイノベーションであり、中小企業は、地方大学や専門技術を有する中小企業同士で連携しその技術の確立とその技術に基づくビジネスへと転換する必要がある」


 2 村井純氏「新しいデジタル政策の始動」。村井氏は慶應義塾大学授、内閣官房参与として、政府のデジタル化の戦略・戦術を担う。その具体的な方法と意義を分かりやすく語る。

 まず(1)「COVID-19でのDXに関する経験」で次の9点を挙げる。①自宅ですべてのことをやる、②家族はバラバラにオンライン、③オフィスに行かなくても仕事をする、④家の近所をオフィスにする、⑤学校がオンライン授業の拠点になる、⑥医院・病院に行かずに診療を受ける、⑦コンサートやイベントが普通に開催できない、⑧3食とも家族全員が自宅で食事、⑨ 「2年のDXを2ヶ月で経験した」サティア・ナデラ。

 ついで(2)「DX:過去の経緯からの学び」を総括する。過去3度のアクション、2000年から開始した我が国のIT政策は理念を示す基本法とそれを実行する機構の定義のセットでこれまで3つのアクションが取られてきた。
・第一に、2000年施行「IT基本法」に基づき、内閣IT総合戦略本部を設置。
・第二に、2014年の「サイバーセキュリティ基本法」に基づき、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)がIT本部から独立。
・第三に、2016年に「官民データ活用推進基本法」が施行。データ活用戦略会議はIT総合戦略本部と有識者・実行部隊共に同一組織であり、会合も同時開催で行われてきた。

 さらに(3)「2021年」として、本年9月1日施行予定の、デジタル社会形成の基本法と設置法の法案を示す。このなかに<デジタル庁>設置が含まれる。
 基本法の趣旨とは、「デジタル社会の形成が、我が国の国際競争力の強化及び国民の利便性の向上に資するとともに、急速な少子高齢化の進展への対応 その他の我が国が直面する課題を解決する上で極めて重要であることに鑑み、デジタル社会の形成に関する施策を迅速かつ重点的に推進し、もって我が国経済の持続的かつ健全な発展と国民の幸福な生活の実現に寄与するため、デジタル社会の形成に関し、基本理念及 び施策の策定に係る基本方針、国、地方公共団体及び事業者の責務、デジタル庁の設置並びに重点計画の作成について定める。」
基本法の概要のうち2点を引用する。
 ア) 「デジタル社会」の定義:インターネットその他の高度情報通信ネットワークを通じて自由かつ安全に多様な情報又は知識を世界的規模で入手し、共有し、又は発信するとともに、先端的な技術をはじめとする情報通信技術を用いて電磁的記録として記録された多様かつ大量の情報を適正かつ効果的に活用することにより、あらゆる分野における創造的かつ活力ある発展が可能となる社会。
 イ)基本理念:デジタル社会の形成に関し、ゆとりと豊かさを実感できる国民生活の実現、国民が安全で安心して暮らせる社会の実現、利用の機会等の格差の是正、個人及び法人の権利利益の保護等。

 その次が(4)「DX: 過去の失敗・成功」
成功事例1:ブロードバンド・アクセス 2000年に目標として掲げられた「世界最高水準のブロードバンドへのアクセス」は5年間の目標を前倒しに成就した。NTTの岩盤体制 及びISDN/BISDN方針を切り崩して実現したADSLの導入、ケーブル敷設の管渠の開放や電柱・電信柱の開放など戦後破られなかった規制と独占を切り崩して実現した。その後、旧電電公社独占の通信基盤には、KDD、電力、有線などの民間競争が発展し、これを 用いるモバイル環境の発展とともにLTEに至るまでのインフラストラクチャ(通信用語でのL1,L2L3)は順調に発展している。
 失敗事例1:ITの「利活用」 2005年頃からIT政策が利活用フェーズに入る。ウェブやその上でのアプリケーションの発展は、世界標準の環境なので課題は少ない一方で、グローバルな利活用競争には立ち遅れていった。広告業界の行政の圧倒的な地上波依存などが原因で、マーケッティングと広告はGoogleの後塵を拝した。電電公社や家電時代からの研究開発がグローバル展開の事業化に結びつかず、ガラパゴス化。本格的な立ち遅れは、行政サービス、金融、教育、医療分野などの公共分野でのIT活用が進まなかったことである。
 成功事例2:アナログ地上波放送の停波 日本で最も成功したDX事例。2003年に導入開始され、2011年7月24日にアナログからの完全移行となった。官民、コミュニティ、自治 体、多様な産業組織が、すべての縦割りを排して、100%を実現した。
 成功事例3:オープンデータの取り組み。2016年、オープンデータの取り組みを通じて官民データ利活用を主眼とした行政分野の切り崩しが開始。当初はOECDのランキング下位から出発したが、政策の進行で現在では上位(2019年4位)になる。この成功は政府CIOへの権限を段階的に強化した結果である。
 失敗事例2:新型コロナ禍でのIT活用。今回新型コロナ禍において露呈したのは、インフラの遅れではなく、特に霞が関、学校、保健所などのIT化の遅れ、また、特別定額交付金の給付の不具合、政府のスマホ利用(COCOA等対策アプリなど)などの領域である。

 そして(4)「デジタル政策2021~ (基本法提言より)」の主な内容を説明する。①情報アクセシビリティ、②置いてきぼりを作らない、③デジタル技術の善用、 By霞が関完全デジタル化、④地方でのデジタルサービスの展開・中小企業・地方大学、⑤すべての公共空間、インターネットへのアクセス、⑥オープンテクノロジ、⑦オープンデータ・公共データ、⑧透明性と相互運用性、⑨世界標準への役割。

 最後に(5)「デジタルトランスフォーメーションのすすめ」として次の9項目を掲げる。①一人も置いてきぼりにしない、②でも、「完全デジタル化」、言い訳なし、③効果を明らかにする、④みんな(すべてのステイクホルダー)でやる、④目標期日は決める、⑤困っている人は助ける、⑥次の世代の逞しさをなんとしても実現する、⑦避難所のインターネットアクセスを完全化する、⑧大学の世界へのMooC(加藤注:大規模オンライン大学講座)発信で競う、⑨地方がDXを牽引しないと!


 3 青木孝氏「変革のプラットフォームとしての大学」。青木氏は東北大学のDXを先導する教授で副学長。20枚のスライドを使って説明。冒頭で「テレワーク経験者は、WLB、地方移住、職業意識が変化」とあり、ついで「DXとは、企業がデジタルテクノロジーを用いて21世紀型企業へと変革を図ること、 実は大学もまったく同様:21世紀型大学へ」と述べ、東日本大震災の「災害対応 ~ 10年前と現在」を対比する。

 本論の(1)は「大学経営のDXを加速的に推進」では、①CDO(Chief Digital Officer:最高デジタル責任者)にプロボストが就任(国立大学初)、② DX推進コアメンバーの学内公募では予想を大きく上回る事務職員57名が手を挙げた、③ 仮想クライアント(1,600ライセンス)導入によりコロナ対応で7割の在宅勤務を実現、④ 授業4,400科目の完全オンライン化を実現、⑤経営戦略見える化、⑥働き場所フリー、⑦窓口フリー、⑧印鑑フリーを推進。そのほか基盤的な業務改善項目を洗い出し 削減時間 合計約47,000時間(年間)を達成した。

 ついで(2)業務のDX推進プロジェクト・チームは、2020年6月1日の東北大学オンライン事務化宣言にある「New Normal 時代でのワークスタイルの変革」を実現するため、全学から公募で参加した総勢約60名で構成。「DXの中心課題は人と組織」とし、DXに関する根本課題はテクノロジーの進歩に対して、 個人、企業、社会システムが反応するスピードの差がいっそう拡大しているおり、技術>個人>組織>政策の順とする。

 その解決策として(3)「意識変革 ボス猿は子猿から学べ!」を掲げ、東北大学コネクテッドユニバーシティ戦略として「3つの基本方針」を掲げる。すなわち①テクノロジーはサイバー リアル融合 DXの加速的推進、②組織はスピーディーで、アジャイルな戦略的経営への転換、③社会はステークホルダーエンゲージメント (共創)の重視。

 最後に(4)「先の読めないVUCA時代の大変革を先導、社会価値を創造 〜ポストコロナの新しい未来に向けて〜」を提示する。(加藤注)VUCAとは冷戦終結によって従来の核兵器ありきの戦略から不透明な戦略へと変わった1990年代の状態を表す軍事造語であったが、その後2010年代に入り、変化が激しく不確実な社会情勢を指す言葉として転用されるようになった。次の4つの単語の頭文字を採ったもの。V:Volatility(変動性)、U:Uncertainty(不確実性)、C:Complexity(複雑性)、A:Ambiguity(曖昧性)。

 三氏の基調講演についで、野口 正一氏 (1930年生まれ、東北大学名誉教授 公益財団法人 仙台応用情報学研究振興財団 理事長)が発言、これを皮切りに総合司会:舘田 あゆみ氏の進行により、①「DXとは」と②「地方創生とDX」の2つに分けてパネルディスカッションを進めたいとしたが、ついつい③東北大学への応援団的・批判的発言が多く、笑いがこぼれる。

 全体として藤原さんの次の2つの発言が強く印象に残った。
(1) DXを<デジタル変革>と捉えている。デジタル化を<目的>のように思っている人がなお多く存在するが、デジタル化はあくまで<手段>に過ぎず、その<手段>を活用して、何を、どのような社会を実現するかに注力したい。
(2) 大学教育からでは手遅れな面があり、初等教育から考えたい。偏差値に拘らず<自発的に考え行動する人材>を育ててほしい。

 YouTube録画と資料の配信で、楽しく理解が進んだ。村井さんの言われる「①一人も置いてきぼりにしない」と「④みんな(すべてのステイクホルダー)でやる」の考えに共鳴し、今回の鼎談を少しでも広く伝える一端を担いたいと思い、私のブログでも取り上げたが、さて、うまく各位の発言意図をお伝えできたか、いささかの不安が残る。

 【後記】このリモート鼎談でも使用したビデオ会議システムZoomを提供するズーム・ビデオ・コミュニケーションズが、3月1日に発表した2020年11月~21年1月期(四半期)の決算が2日の日経新聞に掲載された。売上高が前年比4・7倍の8億8248万ドル(約940億円)で、純利益は17倍の2億6039万ドル(約280億円)、事前の予想を上回りコロナ下のビデオ会議の定着ぶりを示した。地域別では米州の売上高が全体の7割弱を、日本を中心とするアジアは約13%を占めた。

あれから9年

 2011年3月11日の東日本大震災発生から9年が経つ。この大震災を機に始めた私のブログも9年。当時の重苦しい空気が、新型コロナウィルスの世界的拡大に重なる。

3月8日(日曜)、テレビでは幾つかの特集番組が放映され、雨の一日、時間の許す限り観た。その1つが午後2時からのNHKテレビの特集「死者ゼロを目ざせ フジテレビ・ヤフーと共同企画▽連携を探る」である。

 題名の示す通り、フジテレビと検索大手ヤフーとの三者共同企画で、宮古の地域FМや地域TⅤ等が参加した1時間番組である。刻々と迫る事態をメディア(広域から局所にわたる各種)は、いかに連携して伝えるか。

 そこでは、あの大震災発生時に各種メディアがどのように協力できたか、できなかったかを論じ、その教訓を今後いつ起こるか分からない(必ず起きる)大災害発生時にどう生かすかを考えていた。題名の「死者ゼロを目ざせ」が示すように、メディア間の競争より、被災者・被災想定者に焦点を絞る。

 発災からの対応を、(1)発災から3日間(72時間)は被災者の生命にかかわる限界時間、(2)1週間後からは身元確認、避難所、救援物資、(3)1ヶ月経過後は復旧に向けた企画・組織づくり、の3つに分けて考え、それぞれの段階で各種メディアの協力関係も位相を換えることを伝える。

 一方、災害情報を一刻も速く得たい・伝えたいとする利用者側のツールも、この9年間、スマホの普及(機器の防水機能をふくめて)や情報発信機能(および意欲)の向上により大幅に進化した。デマ情報等の混入する危険も増えるが、<発信地情報>を投稿の必須要件とすれば、かなり防げるという。

 9年前のあの日、私は都留文科大学の学長室にいた。学長に就任して初年度が終わろうとする時であった。

 「3月11日午後2時半すぎ、学長室が揺れ始め、次第に大きくなり、立っていられないほどになった。外では多数の教職員や学生たちが、揺れのつづく建物を不安げに見ている。高田副学長が小型のラジオを持ってきた。震源地は東北地方の太平洋沖、マグニチュード8(8・5と言ったか。のち9と修正)、巨大地震と聞こえる。構内では建物の倒壊などはなさそうだ。
 そこに相川総務課長が飛んできて、災対本部と臨時避難所を図書館に置きたいと言う。すぐに毛布や寝袋、懐中電灯や石油ストーブ、水や非常食など必要物資を各所から集めにかかった。春休みのため学生は多くなく、中期日程入試の採点に当たる教員をふくめ、最大時には約150人が図書館に集まり、第二避難所(体育館等を想定)を置く必要はなかった。
翌朝早く電気が復旧し、テレビをつける。巨大津波による廃墟の映像にただ息を飲む。日本列島地図の東海岸が割れるような映像…。原子力発電所は大丈夫かとの思いが脳裏をかすめる。まさに古今未曾有の大災害である。」

 これは『(都留文科大学)学長ブログ 2011~2014』の最初の投稿(2011年3月12日12:30)から再録したもので、発生翌日の12時30分に掲載した記事である。この『学長ブログ』は、冊子版を2014年3月に編集・刊行(A4版2段組、179ページ)、デジタル版は本ブログ(加藤祐三ブログ「月一古典」)の右欄のリンクに再掲した。

 <記憶>は消えやすく、内容も変わることが多い。したがって一刻も早く<記録>に残せと学生に呼びかけると同時に、私自身も可能なかぎり記録してきた。言うなれば「<記憶>から<記録>へ」の勧めである。

 002(第2報)「学生のみなさんへ(再録)」は2日後の3月14日16:50に掲載した。「本学理事会では、被災地出身の学生たちをどう支援するかを協議、さまざまな具体策を議論して実行に移す準備をすすめた。一方、3月14日付けで学生に向けた学長メッセージ「学生のみなさんへ」をHPに載せた」。以下はその一部である。

 「被災された学生のみなさん及びご家族の方々へ、心からお見舞いを申し上げます。安否不明、寒さと不安、物資の不足等、災難はまだつづくと予想されます。歯をくいしばって持ちこたえましょう。被災状況や安否確認もまだ緒についたばかりです。春休みで帰省している学生も多く、学生課が電話連絡で安否確認を開始しました。本学学生の約15%にあたる437名が北海道、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、長野県の出身者で、このうち13日(日曜)までに無事を確認できたのは283名と全体の64.8%に過ぎません。大学からの安否確認が届いていない方は、学生課へ連絡してください。大学では、被災した学生の授業料免除等を検討しています。授業どころでないと、うちひしがれている人も いるでしょう。心中は察するに余りあります。大学が、今も、これからも、みなさん一人一人を気づかい、応援しつづけることを忘れないでください。今後の安否情報や大学行事の変更等については、逐次お伝えします。被災を免れたみなさんも、未曾有の事態に立ちすくむ思いでしょう。大変でしょうが、できれば、今後の震災復興に自分がどのように寄与できるかを考え始めてください。英知と気力を結集し、文大生のできることを模索してください。みなが絶望の淵に立っている現在、若いみなさんにしかできないことがあるはずです。」

『学長ブログ』は大震災の翌日に立ち上げることができたが、その冒頭に次のような経緯を記した。「今年に入って本学ホームページが大幅に改良された。扉ページの左下には大学blogの欄ができ、その1つに「学長ブログ」が開設されているが、「ただいま準備中です。しばらくお待ちください」とある。…原稿の準備をしているところに、未曾有の大震災が起きた。テーマも字数も未定、定期的な掲載かどうかも未定のまま、始めることとした…」(001「はじめに」)。

 003「卒業式の中止(再録)」は、3月23日16:45の掲載。「3月22日に予定していた卒業式は実施できるのか、それとも中止すべきか、たいへん迷った。15日付けのHPに、予定通り実施する旨を伝えたが、翌16日には、やむなく中止の通知に変更した。東京電力による計画停電により、会場(800席のホールと300席の小ホール)の安全な運営が可能か否か、交通手段の確保はどうかが最大の焦点であった。…」

 これ以降、004「学生の安否確認」、005「被災学生の支援」、006「書きとめておこう-記憶から記録へ」、007「新学期のキャンパス」とつづく。
学生の不安を少しでも軽くしようと語りかけ、課外活動(文化の<桂川祭>やスポーツ<鶴鷹祭>等)の現状を伝え、現役学生を支援する卒業生の活動を紹介した。また卒業生の案内で岩手県の被災地を訪れ、知り得たことも掲載した。

 時が経つにつれて、009「大学の役割」、015「大学図書館を楽しむ」、018「大学教員の4つの仕事」、022「岩手県訪問」、024「防災委員会」、031「宮城県被災地支援 クリスマスコンサート」等へつながる。

 そして3年後、121「学長退任にあたって」(2014年3月14日掲載)に次ぎ、122「黒船来航と洋学」(2014年3月17日掲載)で『学長ブログ』を閉じた。

 翌月6日、『加藤祐三ブログ 月一古典』を始めた。その第1号が「花と新緑の競演」。以来、本稿が234番目にあたり、『学長ブログ』から数えて355番目となる。

 現在最大の懸案事項は新型コロナウィルス、前稿「人類最強の敵=新型コロナウィルス」(3月6日掲載)から数日間のうちにも、刻々と事態は変化している。そのなかから幾つかを記しておきたい。
 
 3月8日(日曜)から始まった大相撲春場所(大阪)は、感染拡大防止のため無観客でテレビ放映。湧き上がる歓声も拍手もなく、座布団が飛ぶこともない。進行も心なしか速い気がする。

 同じ日の日本経済新聞(日曜版)のトップ記事は、「チャートは語る」の1つで、主見出しが「都心の人出 大幅減」、つづく副見出しは「オフィス街2割少なく」、「夜の銀座半分」、「新型コロナ 業務改革加速も」の3つ。欧州で感染拡大、アメリカではニューヨーク州等8州で非常事態宣言が出された。

 9日(月曜)には、アジア・欧州の株安を引きついだニューヨーク株式市場で一時2000ドル超安(過去最大)となり取引が一時停止、同時に為替は円が急騰し、日本の製造業の減益要因が強まる。「最悪のシナリオ具現化」の小見出しも。原油価格も急落した。この日、プロ野球とサッカーJリーグが20日の開催を延期すると決めた。

 10日(火曜)は東京大空襲75周年。関東大震災(1923年)から97年、<スペインかぜ>(1918~19年)のパンデミックから102年(本ブログの前回「人類最強の敵=新型コロナウィルス」)が経った。

 11日(水曜)、各種メディアは東日本大震災の特集を組み、復興の現状や震災から得た教訓等を報じている。そのなかに福島県飯舘村長沼地区に入り汚染土の埋立に尽力している田中俊一さん(原子力規制委員会元委員長、同村復興アドバイザー)の姿があった。

 新型コロナウィルスに関連して、センバツ高校野球の中止を決めた。感染拡大防止のための休校措置・イベント等の自粛要請がもたらす実体経済への影響を見極めようとする報道・論調が並ぶ。感染防止と経済活動の萎縮阻止、それを両立させる難しい政治的判断が迫られている。
プロフィール

Author:加藤 祐三
日本の歴史学者

横浜 市立大学名誉教授

国指定名勝・三渓園(横浜)
前園長(2012年8月~2023年3月)

・前都留文科大学長
(2010~2014)

・元横浜市立大学長
(1998~2002)

主な著書
「イギリスとアジア」
         (1980年)
「黒船前後の世界」(1985年)
「東アジアの近代」(1985年)
「地球文明の場へ」(1992年)
「幕末外交と開国」(2012年)
蒋豊訳「黒船異変」(2014年)
蒋豊訳「東亜近代史」
         (2015年)

 など

専門
・近代アジア史
・文明史

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